

ルール無視で勝つ企業は滅びるべき時代へ
「数字さえ上げれば何をしてもいい」「結果を出す者が正義、文句を言う者は甘え」。
そんな言葉が当たり前のように飛び交う職場環境が、令和の日本にもなお多く存在している。特に営業現場においては、長時間労働や労務ルール違反が“努力”とされ、ハラスメントや不正なマネジメント手法ですら「成果のための必要悪」として肯定されるケースが後を絶たない。
こうした環境で“育つ”のは、実力者でもなく知性ある人材でもない。ルールを破ることに慣れきった“脳筋人材”だけだ。

それはまさに「ビジネス版ドーピング」
スポーツ界で“ドーピング”が厳しく取り締まられるのは、それが競技の公平性を破壊するからだ。薬物を使って得た勝利には価値がない。
同様に、労働の世界においても、労基法を無視し、倫理を無視し、人を使い潰して得た成果には、真の価値はない。
だが現実には、「違法ではないから」「結果が出ているから」という詭弁によって、その“ドーピング営業”は黙認されている。これは明らかに、組織の倫理観の崩壊であり、日本社会全体が見て見ぬふりをしてきた問題でもある。
そもそも育てる気がない企業たち
こうした企業は、人を育てるつもりなど初めから持っていない。
- 採用は「辞めること前提」
- 教育は「OJT」という名の放置
- 評価制度はブラックボックス
- 定着率より“短期成果”を重視
つまり、人を資源ではなく“消耗品”としか見ていないのである。
そのため、職場には「合う人間」だけが残るが、それは決して優秀な人材ではない。“耐えられた者”である。まともな人材ほど心を折られて去っていくのが、こうした企業の典型的な構図だ。
なぜそれでも生き残るのか?
理由は単純だ。社会が見逃してきたからである。
- 消費者は「商品やサービス」しか見ない
- 就活生は「表面的な待遇やブランド」で判断する
- 金融機関は「業績や売上数字」で評価する
その結果、ルール無視の企業も、堂々と市場で競争できてしまう。これこそが、最も根深く、構造的な問題だ。
社会の“見て見ぬふり”に一石を投じた「退職代行」
ここに静かに風穴を開け始めているのが、退職代行サービスである。
彼らは、企業が社員の「辞め方」にどう向き合っているかを日々、実務として見ている。
- スムーズに対応する企業
- 出社しないと手続きできないと言い張る企業
- 「退職代行はヤクザだ」と暴言を吐く企業
彼らは、こうした“辞めさせ方の差”によって、企業の人間性・誠実性のグラデーションを把握している。そしてその実感は、Googleレビューなどの外部評価と驚くほどリンクしているのだ。
「星1つの会社に電話をかけるときが、一番緊張する」──退職代行スタッフの声
つまり今や、企業が内側でどんな倫理観を持っているかは、外部からも透けて見える時代になっている。
この情報が社会を変える──データの武器化
退職代行サービスが蓄積する情報が、今後公開・分析されるようになれば、次のような構造変化が起きる:
- 離職トラブルの多い企業には人材が集まらなくなる
- 労務コンプライアンスが低い企業には金融機関の融資が渋られる
- ESG評価の一環として「職場の健全性」が加味される
これは、企業を囲い込む“倫理的包囲網”であり、社会が持つ正当な防衛機制である。
「やったもの勝ち」を終わらせるために
現状では、ルールを破った者が勝ち、誠実な者が報われない構造が蔓延している。これはまさに、真面目にルールを守って競技に参加する者を愚弄する行為だ。
スポーツではありえないこの構図が、ビジネスの世界では黙認されてきた。だからこそ今、社会はこう宣言すべきなのだ:
「ルールを破って得た勝利に価値はない」
そして、
「ルールを守って勝つ者だけが、長く評価される社会をつくろう」
これが、これからの経済社会に求められる“新しい競技ルール”なのである。
退職代行は“解決”ではないが、“兆候”を読み解く重要なセンサーである。
今後社会が目指すべきは、こうした個別事例を活かし、制度的・経済的にルールを守る企業が評価され、そうでない企業は自然と淘汰されていく枠組みの構築だ。
行政、金融、教育、報道、そして私たち一人ひとりが、倫理ある雇用環境を守る“監視者”となり、ルールに従う者が長く存続できる市場構造を整えていかなければならない。
競争そのものを否定するのではない。正しいルールの中で戦う企業こそが、長く支持される社会へ。これが私たちの築くべき新たな常識である。
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