

仕事とは何か──信頼契約としての労働関係
近年、「入社初日で退職」というニュースが目立つようになりました。「最近の若者は我慢が足りない」といった感情論が飛び交う一方で、企業の採用活動に対する根本的な見直しが求められています。
そもそも仕事とは、企業と労働者が相互に信頼を前提とした契約関係を結ぶことで成り立っています。企業は「あなたにこの役割で貢献してほしい」と期待を示し、労働者は「報酬や環境、やりがいを含めた価値提供を受け取りながら働く」という合意が前提です。
この関係が成立するには、両者の認識と信頼が一致している必要があります。しかし、現実の採用現場では、その土台が最初から崩れていることが少なくありません。

採用は「どこ行きか分からない新幹線」ではない
ある意味、仕事選びは東京駅から新幹線に乗る行為に似ています。北海道、東北、北陸、関西、九州など、ある程度自分の行きたい方向性が定まっていて、その中で「のぞみ」「こだま」「グリーン席」「自由席」などの選択肢があります。
思い通りにいかない部分もあるでしょう。グリーン車が満席で自由席しかなかったり、東北行きに乗りたかったけれど空いていたのは上越新幹線だったということもある。それでも、大まかな方向性さえ合っていれば、途中で乗り換えたり遠回りしながらでも目的地に近づける。このプロセスこそがキャリアであり、積み重ねられる経験です。
しかし、日本の多くの採用は「どこ行きかも分からない新幹線に、とりあえず乗れ」と言われるようなものです。配属も職種も未定、「適性を見て後で考える」という形式は、本人の意思や方向性を軽視しています。これでは働く側もキャリアの設計ができず、不信感から早期離職に繋がってしまうのは当然です。
最初の一歩で信頼を損ねれば、継続は難しい
仕事は“契約”であり、その契約には一定の信頼関係が必要です。企業が提示した内容が実態と大きく乖離していたり、採用の段階で虚偽や誤解を招くような情報が与えられた場合、最初から信頼は崩れています。
- 求人票と実際の労働条件が違う
- 入社後に初めて休日出勤の存在を告げられる
- 説明会での言葉と現場での対応が全く異なる
こうした“採用段階での不誠実さ”は、単にミスマッチというレベルではなく、契約違反に等しい。労働者側が「辞めたい」と感じるのも当然の反応です。
キャリアは「与えられるもの」ではなく「引き寄せるもの」
一方で、労働者側にも課題はあります。「やりたいことと違う」「理想の職場ではなかった」と早々に結論を下してしまう姿勢には、主体性の欠如が見られることもあります。
キャリアとは、誰かに与えられるものではありません。企業が示した方向性と、自分の目指す方向が一致しているのであれば、その環境を活かしてキャリアを築いていく努力こそが、仕事ができる人材としての証明となります。
企業から選ばれたことには意味があり、その意味をどう活かすかは自分自身の責任です。お膳立てされた環境でなければ動けない人に、キャリアは積み上がりません。
採用は「信頼とニーズの接点」であるべき
良い採用とは、企業のニーズ=必要とする能力や役割が明確であり、それに対して候補者が自分の能力と志向を重ねていけるかを見極める行為です。
しかし、日本ではこの「ニーズの明確化」が甘く、「優秀そうな人をとりあえず採っておく」「入社後に適性を見て考える」といった発想が支配的です。これは企業側が、自分たちの戦略や組織課題を明確に持っていないことの表れとも言えます。
- 求める人物像を明文化していない
- 配属先や職務内容が不透明
- 採用後の育成計画が存在しない
こうした企業が若者のキャリアを“使い捨て”にしてしまう構造を作っているのです。
「信頼の採用」が企業の価値を高める
採用とは、労働者の人生の一部を預かる行為であり、企業の未来を担う人材を迎え入れる行為です。そこに信頼がなければ、早期退職・低生産性・組織の弱体化というリスクを企業自らが招くことになります。
逆に言えば、
- 採用段階での説明責任を果たす
- 方向性の一致を丁寧にすり合わせる
- 仕事の目的と役割を明確にする
こうした誠実な採用こそが、働く側の意欲を引き出し、長期的な戦力へと育てる第一歩になります。
労使双方に問われる「契約の自覚」
結局のところ、信頼なくして仕事は成り立たないのです。
- 企業は「この環境でどう活躍してほしいのか」を明確に示す
- 労働者は「この環境でどう自分を活かすのか」を自ら設計する
この両者の“自覚”があって初めて、仕事という契約は意味あるものになります。そして、ここを曖昧にしたまま採用を進めることは、ただの時間とコストの浪費であり、社会全体にとっての非効率に他なりません。
終わりに──「方向性」と「誠実さ」から始めるキャリア
完璧な職場や、理想通りの配属など存在しません。しかし、方向性さえ合っていれば、乗り換えながらでも目的地には近づける。そして、その過程こそがキャリアです。
企業はまず「どこへ向かう列車なのか」を示すべきです。労働者は「その方向に、自分のキャリアをどう重ねるか」を考えるべきです。
信頼と方向性の交差点に立てば、人も企業も、もっと強くなれる。
「入社1日で退社する若者」が持っておいたほうがいい視点を養老孟司さんが語る