

はじめに──”長く働く人”が評価される不健全な職場
定時で帰る人を見て、「あいつはやる気がない」と言い、毎晩遅くまで残っている人に「よく頑張っているな」と声をかける。そんな職場は、今も日本中に存在している。だが、私たちはそろそろ気づかなくてはならない。
残業とは、「努力の証」ではなく「何かが足りない」ことの表れである。
段取りか、判断力か、業務設計か、それとも勇気か──理由は様々だが、いずれにせよ“定時内に終わらない”という事実そのものが、その人や組織にとっての問題点を示している。
ところが日本企業では、いまだに「残業=真面目」「長時間労働=忠誠心」という価値観が根強く残っている。そして、この歪んだ認識を温存しているのが、他でもない“評価する側”、すなわち管理職たちだという現実がある。

残業の三類型──全ては「何かが足りない」証拠
残業の背景には、大きく分けて次の三つのパターンがある。
| タイプ | 原因の性質 | 本人の責任 | 管理職の責任 |
|---|---|---|---|
| 1. 能力不足型 | 段取り、判断、実行力の欠如 | 大 | 中 |
| 2. 金銭依存型 | 残業代ありきの生活設計 | 大 | 小(啓発は必要) |
| 3. 空気屈服型 | 帰れない職場の雰囲気 | 中 | 大 |
それぞれを見てみよう。
1. 能力不足型──仕事が終わらないのは”なぜか”
もっとも基本的で分かりやすいのがこのタイプである。要するに、業務を時間内に完了させるスキルが足りていない。優先順位の判断、タスク設計、集中力、段取り、そして相談や連携の力。これらのどれかが欠けていれば、仕事は終わらない。
もちろん、すべての残業が本人だけの責任ではない。しかし、あくまで「時間内に終わらせる」という目標を前提としたとき、それが実現できていないという事実には、必ず“何かの力不足”が関与している。
2. 金銭依存型──時間を切り売りする働き方
このタイプの残業は、能力とは別の問題を抱えている。簡単に言えば、残業代がないと生活が成り立たないというケースだ。ローン、子どもの教育費、物価上昇──理由は切実だが、それは同時に「生活設計の甘さ」や「将来見通しの不在」を表している。
自らの労働時間を“切り売り”しなければいけない設計を続ける限り、残業は減らない。会社にとってもコスト高となり、本人の心身の負担も増える。まさに不幸な共依存だ。
3. 空気屈服型──最も愚かで、最も根深い
おそらく日本社会で最も多く、そして最も厄介なのがこの「空気屈服型」残業である。業務は終わっているのに帰れない。「上司が残っているから」「同僚が帰ってないから」──“何となく残っている”という集団圧力に屈した形の残業だ。
ここにはもはや合理性はない。しかもこのタイプの残業が蔓延すると、若手がそれを学習し、次世代に“空気の文化”が受け継がれていく。これは、最悪の形で組織を腐らせる。
評価できない管理職こそ、真の問題
これら三つの残業タイプのうち、とりわけ空気屈服型が広がる原因は、管理職の評価軸が「成果」ではなく「時間」にあることだ。残業している部下を見ると、つい「頑張ってるな」と感じてしまう。だがそれは、評価する力がない人間が、見えるもの(=時間)だけで評価しているに過ぎない。社員を人間ではなく、“労働時間の容器”として見ている。
本来、管理職に求められるのは、
- 誰が本当に成果を出しているかを見極める力
- 自律的に働ける人を評価する勇気
- 業務の全体像を把握したうえで、タスクを適切に配分する力
である。だがそれができない人ほど、見た目に頼る。
「長く働いている」=「やる気がある」「忠誠心が高い」
という、“見かけの勤勉さ”を評価基準にしてしまう。そして、その基準が共有されることで、「残業しない人=やる気がない」というレッテル貼りが始まる。こうして、能力のある人ほど離職し、残るのは「時間だけ長くいる人」になる。
評価力の欠如がもたらす悪循環
部下の成果が見えない
↓
成果を見るスキルがない(=評価力の欠如)
↓
時間で測るしかない
↓
長時間労働を“従順”として評価
↓
本当に優秀な部下が不満を持ち辞める
↓
残るのは「言われたことを長くやる人」
↓
管理職がさらに楽を覚える
↓
組織が腐る
真の管理職とは──片山善博氏の実践から
元官僚であり、鳥取県知事や総務大臣を歴任した片山善博氏の働き方には、管理職の理想像が見て取れる。彼は、国会対応の「待機業務」が無意味であると見抜き、こう行動した:
- 「質問が飛んでくる可能性は低い」と判断するスキル
- 「もしものときは自分が責任をもって書く」と宣言する覚悟
- 結果として、本当にトラブルは一度も起きなかったという成果
この一連の行動に、管理職に必要な三要素──予測力・責任感・結果責任──が凝縮されている。これこそが、組織を支える真のマネジであり、部下の業務や時間、健康を「管理」することこそ、管理職の最も重要な職務なのだ。
残業は評価軸ではない。むしろ“要注意サイン”である
もう一度、強調しよう。残業は「頑張り」ではない。「未熟さ」か「誤解」か「制度の歪み」の表れである。
それを「美徳」として評価し続ける限り、組織は変わらない。残業をしている社員が評価され、残業しない社員が冷遇される。そんな職場には、有能な人材ほど居場所がなくなる。
だからこそ、管理職に必要なのは、“成果に基づいた評価”に立ち返ることだ。誰が早く帰ったかではなく、誰が仕事を終わらせ、何をもたらしたかを見る視点が求められている。
結論──時間で測る時代の終焉
評価できない人間が管理職に就くと、職場は腐る。そして、残業という制度疲労の現象が放置される。
これからの時代、管理職に求められるのは、こうした覚悟だ:
- 時間ではなく成果で見ること
- 空気ではなく行動で判断すること
- 残業を減らす判断にこそ、責任を持つこと
長く働いている人を評価し続ける限り、組織が成長するのは“残業時間”だけだ。そんな職場は、やがてダメ人材の墓場になる。
官僚時代にやめた「無意味な残業」 管理職でも早く職場を出た方が良い理由(PHPオンライン)