

序章:「報連相の進化」は組織を救うか?
近年、「報連相(報告・連絡・相談)」の曖昧さを整理し、構造化しようという流れが出てきた。なかでも注目されているのが「M型ワークフロー」だ。
仮説立てから実行、報告、振り返りまでを明確にフェーズ分けし、報連相の無駄をなくす。その意図は極めて現実的で、現場においては確かに効果があるだろう。
こうしたアプローチが現場から出てきたこと自体、極めて意義深い。報連相という曖昧な慣習に、構造と意味を与えようという試みは、現実的かつ即実践可能な改革だ。筆者もその点については大いに評価したい。
ただし、それでもなおこう感じてしまうのだ。
「これは本当に“進化”と言えるのだろうか?」
実務上の洗練という意味では間違いなく進化だ。だが、本質──すなわち、意思決定の属人性、管理職の重責、そして失敗を許さぬ文化──には変化がない。 それらを変えずにM型を導入すれば、むしろ構造化された分だけ管理職の負荷が強化される危険すらある。
このコラムでは、M型ワークフローを認めたうえで、さらにその先の組織像──より自由で挑戦的な働き方が可能な組織──を見据え、あえてその理想を追求したい。
そしてその転換は、なるべく早く実行されるべきであると信じている。

第1章:報連相──語呂だけで生き延びた“伝統芸能”
報連相は、もともと「情報共有の習慣化」として提唱されたものである。上司と部下の間で、報告し、連絡し、相談する──それによってミスを防ぎ、連携を円滑にする。
だが、時が経つにつれ、その運用は属人的で曖昧なものになっていった。
- 「何をどこまで報告すべきか」
- 「連絡とは具体的にどのレベルの共有なのか」
- 「相談とはどの段階で行うべきか」
こうした問いに、明確に答えられる企業は少ない。現場では結局、“その上司がどういう人か”によってルールが変わる。
結果として、
- とにかく「何でも言っておこう」という無駄な報告
- 「怒られたくないから相談しておく」という防衛的行動
- 「読まれない報告書」「使われない議事録」
が蔓延し、生産性とは無縁の“儀式”が繰り返される。
第2章:M型ワークフロー──実践的な整理術としての意義
こうした報連相の形骸化を受けて登場したのが「M型ワークフロー」だ。
- ①仮説立て(目的・優先度・やり方を明文化)
- ②事前確認(上司と認識のすり合わせ)
- ③実行
- ④事後報告(結果・課題・次のアクション)
- ⑤自己アップデート(振り返り・学び)
この流れをM字型に整理することで、報連相の意味とタイミングを可視化した。
特に、
- 無駄なやりとりの削減
- 部下の思考力育成
- 上司とのズレの事前防止
といった点では非常に効果的で、現場のタイパ(時間対効果)改善に役立つフレームワークであることは間違いない。
だが、その利点を認めたうえで、筆者はこう感じる。
「それでも、“通す相手が上司である”限り、本質は何も変わっていないのでは?」
第3章:上司を通す構造が変わらない限り、属人性からは逃れられない
M型ワークフローであれ、報連相であれ、最終的には“その上司が判断する”。
つまり、
- 仮説の妥当性を評価するのも
- 報告を受け止めるのも
- 次のアクションを決めるのも
結局は上司であり、その上司の価値観・性格・能力に依存してしまう。
属人性が取り除かれたようで、まったく取り除かれていない。むしろ、「責任を明示された構造の中で、上司にすべてを通す」という緊張感が、現場をさらに窮屈にしてしまう危険性すらある。
第4章:「裁量があるようでない」日本型管理職の現実
日本の管理職の多くは、
- 新たな判断を下す裁量は与えられておらず
- 失敗時の責任だけを強く求められ
- 判断を下すたびに前例や空気を読み
- 結局、上にお伺いを立てざるを得ない
という状態に置かれている。
つまり、
「裁量があるように見えて、失敗リスクを避けるために誰も本当の判断をしなくなる」
この構造の中では、M型ワークフローも「手戻りを防ぐフロー」にはなっても、「新たな挑戦を生む判断フロー」にはなり得ない。
そして、責任だけが重くのしかかる管理職はますます疲弊し、「管理職になりたくない層」が増えていく。
日本の管理職が「なりたくない役職」になった理由:
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 責任の集中 | トラブルや失敗時は「上司の管理責任」が問われるが、裁量は限定的 |
| 属人性の罠 | 判断や評価が「上司のセンス・気配り・空気読み」に依存する |
| 部下のケア負担 | ハラスメント・メンタル支援など個別対応の負担が重い |
| 成果の曖昧さ | 自分の業績というより「部下の成果=自分の評価」になる |
| 報酬との非対称性 | 手当が少額で、報酬と負荷のバランスが悪い |
| 時間的拘束 | プレイヤー業務+マネジメントで多忙になりやすい |
| 昇進=孤独 | 部下との関係が変化し、心理的負担が増す |
第5章:欧米の「失敗は資産」という考え方
対照的に、欧米では失敗はこう捉えられる:
「仮説が外れたという事実」
誰が判断したかよりも、なぜそう判断したか、何を学んだか、どう活かすかが評価される。
- 判断の過程はドキュメント化され
- 共有され
- 次に再利用される
つまり、失敗が組織の知になる。
判断は「個人の裁量」ではなく、「ルールとプロセスに基づいた仮説検証の一部」として扱われるため、属人性が低く、透明性が高い。
日本型と欧米型の組織マネジメント比較:
| 視点 | 日本型 | 欧米型 |
| 判断の軸 | 前例・空気・上司の意向 | ロジック・目的・検証プロセス |
| 裁量の範囲 | あいまい・暗黙的 | 明示的・文書化されている |
| 責任の扱い | 個人に集中・保身重視 | 分散され、記録される |
| 失敗の評価 | マイナス評価・追及対象 | 学習素材・再現可能性の向上に活用 |
| ナレッジの扱い | 属人化・引継ぎに難あり | ドキュメント化・全社共有 |
第6章:「裁量なき責任」からの脱却には、組織構造の再設計が必要
ここに至って分かるのは、
- M型ワークフロー=整理術としての優秀な道具
- だがその効果は、「組織文化」や「権限設計」が未整備なままでは限定的
であるということだ。
日本の組織に今必要なこと:
- 裁量と責任の明確な分離・可視化
- 失敗を記録・共有するナレッジ設計
- 判断プロセスの標準化・構造化
- 属人的ではない意思決定ルールの整備
- 失敗を許容する文化の構築
失敗が許容されなければ、人は挑戦せず、過去の成功体験の範囲内でしか動かなくなる。 その結果、業務は固定化され、組織は硬直する。
失敗を「個人の責任」として処理するのではなく、「組織が検証すべき仮説」として扱える文化こそ、変革の前提条件である。
終章:生産性を考えるのならば、組織文化と設計を“進化”させなければならない
報連相やM型ワークフローは、悪ではない。むしろ、混沌とした職場のやりとりを整える実務的な工夫としては高く評価されてよい。
だが、それを回す「人」や「仕組み」が、旧来の価値観や縛りの中にある限り、何も変わらない。
- 判断を恐れる文化
- 失敗を許さない風土
- 形式主義と属人性に依存したマネジメント
このような構造が温存されている組織では、どんなに業務フローをアップデートしても、本質的な変革は起きない。
記事にあるような生産性を向上させるのならば、組織全体の思想と設計自体を進化させなければならない。
- 失敗を前提に仮説検証する文化へ
- 判断と責任の分離・共有の仕組みへ
- 属人性から再現可能性の高いプロセス設計へ
報連相の排除はその象徴であり、入口にすぎない。
真に必要なのは、「何を共有するか」ではなく、「なぜ共有するか」という哲学のアップデートである。
報連相(ほう・れん・そう)が日本企業をダメにする?企業が陥る“無駄な報告”の罠とは(東洋経済オンライン)