

序章|「青田創り」は「若者信仰」言い換えに過ぎない
「青田買いから青田創りへ」。聞こえは優しい。奪い合いではなく育て合い。短期利益ではなく中長期。産官学連携で次世代リーダーを育成する。だが、耳ざわりの良さと戦略の正しさは別物だ。
つまりは、日本経済界に長年巣食い、蝕んできた「若者信仰」の言い換えに過ぎない。
ひとつだけ予め明言しておく。
本稿は若者教育を否定しない。スタート地点は高いほうがいい。若いうちに良い学習環境を用意するのは合理的だ。
だが、問題はそこではない。問題は「学生に縛る」こと、さらに言えば「若者だけに未来を託す」ことだ。ここには合理性が一つもない。
あるのは、日本にこびりついた「若者は夢の容器」という幻想だけである。

第1章| 巨大産業は「若い目的意識」から生まれていない
過去30年程度で、世界の構造を変えた“巨大級”のイノベーションを思い浮かべてみるといい。テスラ/SpaceX、クラウド(AWS)、スマートフォン、ECと物流、ハイブリッドカー、QRコード――これらは「学生の目的意識」から自然発生したのではない。共通点は驚くほど地味だ。
|イノベーション主要事例(近代・巨大産業)
| イノベーション | 主な開発者 / リーダー | 年齢(キー時点) | キー時点の詳細 |
|---|---|---|---|
| テスラ (Tesla)/スペースX (SpaceX) | Elon Musk | 30代 | 2004年に主要投資家として参画しCEO就任。創業は2003年(他者による)が、以後の経営・技術戦略を主導 |
| ハイブリッドカー (Toyota Prius) | 豊田章一郎ら経営陣/主導エンジニア:内山田竹志 | 40代前後 | 初代Priusは1997年発売。内山田竹志は40代で開発統括、社内抵抗と技術的困難を乗り越え量産化 |
| スマートフォン (iPhone) | Steve Jobs(Apple CEO) | 51–52歳 | 2007年1月に発表、同年発売。Mac・iPod等の長年の製品群の延長線上で統合 |
| QRコード | 原 昌宏(Denso Wave) | 37歳 | 1994年に発明・発表(1957年生まれ)。自動車生産管理の現場ニーズから開発 |
| 青色LED | 中村 修二(Nichia) | 39歳 | 1993年に高輝度青色LEDを実用化・発表(1954年生まれ) |
| ストリーミングサービス (Netflix) | Reed Hastings | 46–47歳 | 2007年にストリーミング本格開始。DVD郵送事業(1997年、当時37歳)の事業転換として実装 |
| クラウド (AWS) | Jeff Bezos(Amazon) | 42歳 | 2006年にAWS正式ローンチ。EC運営で蓄積したインフラ・ 運用知見を外販化 |
|十分な経験 × 正しいプロセス理解 × 実装責任
イノベーションの核は「ひらめき」ではない。摩擦の中で折れずに設計し直す能力だ。
- 産業の地べたを知っている(既存のボトルネックを具体的に言語化できる)
- 失敗や遅延を織り込んだプロセスを設計できる(工程を分解し、再構成できる)
- 規制・資本・組織という“摩擦”を前提に動ける(理想ではなく現実で勝負する)
- 長期戦の覚悟がある(数年〜十数年を平然と投資できる)
学生にそれがない、という人格批判ではない。
単に、社会の摩擦は実社会の中でしか経験できない、という当たり前の話である。
第2章|学生起業神話は“例外”しか残らない
では逆に、学生のまま社会を根本から変えた例はどれほどあるのか。
厳密に絞ると、ほとんど残らない。Facebookは確かに例外だ。だが、例外をモデルにして制度設計をするのは、統計ではなく賭け事である。再現性が低くて使い物にならない。
Googleの検索技術は大学院研究起点で、社会実装とスケールは卒業後に資本と組織を得てからだ。YouTubeも“学生の純粋な発想”というより、社会人経験と周辺の技術・資本環境があって初めて爆発した。InstagramやSnapchatに至っては、Facebookが作ったSNS世界の延長線での枝分かれに過ぎない。
「学生だからできた」ではなく、「既に敷かれた線路の上で最適化した」事例だ。
結局、学生発で巨大産業まで到達する成功確率は低い。
理由は単純で、学生が劣るからではなく、必要条件が揃わないからだ。社会命題の解像度、実装プロセスの理解、利害調整と規制対応、失敗コストの引き受け、これら社会実装に必要な要素は“学内”では得難いものなのだ。
第3章|「エッジソン」の正体はイノベーターではなくアーティスト
「目的意識を持つ」「自ら考え自ら動く」「正解を創る」。これらの言葉は美しい。だが、ここに罠がある。
目的を語ることと、目的を実装することは別だ。前者は物語、後者は工学である。
いわゆるエッジソン像は、むしろアーティストに近い。独自の感性で世界を切り取り、好きなものを求める。もちろん、それにも価値がある。
しかし、産業はアートだけでは立たない。産業は、工程・品質・資本・法・供給網・採用・評価・顧客対応という現実の摩擦の集合体である。摩擦を乗り越えるのは、夢の熱量ではなく、経験に裏打ちされた設計能力だ。
つまり、学生に「目的」を語らせる仕組みを増やしても、巨大産業の成功確率は上がらない。
むしろ「目的=価値」「語れる=優秀」という誤解を増殖させるだけだ。これは育成ではなく、幻想の生産である。
無論、小さなサービスの生成は増えるだろうし、偶発的にスマッシュヒットが生まれることもあるだろう。
しかし、GAFAM他のように国際マーケットを創出する、日本の経済を預けるに足る産業が生まれるようなものでは無い。
投資効率に見合う、或いは若者信仰の結果として切り捨てられるものと、バランスが取れるとは到底言えまい。
第4章|イノベーションは魔法ではない、泥にまみれる作業だ
イノベーションの現場は、魔法の物語ではない。そこにはプロセスが必ずある。
- 生活や業務の“違和感”を拾う(まだ言葉にならない)
- それを命題に落とす(誰が困り、何が詰まり、何が損失か)
- 既存の要素を組み替える(技術・制度・オペレーション・価格)
- 失敗する(想定外の摩擦が必ず出る)
- 失敗の原因を切り分け、工程を設計し直す
- それを何度も繰り返して、ようやく“産業の形”になる
ここで重要なのは、ひらめきの瞬間ではなく、4〜6の反復である。多くの人が嫌がり、途中で投げる、退屈で痛いプロセスだ。だが、巨大産業の正体はこの反復である。マスクがやったのも、トヨタがやったのも、ジョブズがやったのも、結局はここだ。
だから「若い目的意識」を神格化するほど、現実のプロセスが軽視される。「夢を語る若者」が評価され、「工程を回す経験者」が軽視される。
イノベーションに本当に大事なのは、長い時間をかけて、命題と正面から向き合い、トライ&エラーの泥にまみれる作業なのだ。
第5章|合理性の無い学生限定の”不都合な真実”
エッジソンプロジェクトが学生(若者)限定になっていることに合理性が無いことは、ここまでの論で示せたはずだ。
それでも学生に縛るのは、合理ではなくただの心理だ。
日本の組織が長年抱えてきた“都合のいい物語”がある。
- 若者=可能性、夢、未来
- 中高年=硬直、既得権益、過去
この二分法は、企業側の責任回避に便利だ。若者に期待すれば、「未来を見ている企業」とアピールできる。
組織の構造を変えなくても、「若者を育てる」と言えば未来の話にすり替えられる。失敗しても「若者だから」「育成途中だから」で済む。成功したら「育成の成果」だ。
つまり、若者偏重は成功可能性の低い投機を、道徳で包装するシステムになり得る。
そしてこの若者信仰システムは、副作用として中高年を不用品にする。
敢えて踏み込んで言おう。企業にとっては「まずは若者ありき」。中高年を整理する尤もらしい理由が欲しい。
その理屈としての「エッジソン論」だ。
こうして若者神話は、若者を救う話ではなく、経験者を排除するシステムに変質する。
第6章|大きな革新も、小さな革新も同時に死ぬ
若者偏重がもたらす最大の損失は、イノベーションが一種類だけ死ぬのではなく、二種類とも死ぬことだ。
- 大きなイノベーション(長期・高難度の工程)が死ぬ
ここまで触れてきた通り、難解なデュープロセスは、知識と忍耐と修正能力が要る。若者の熱量だけで回るものではない。
経験者が軽視される社会は、長期戦に耐える人材の層が薄くなる。結果として“でかい山”に登れない。 - 小さなイノベーション(現場カイゼン)も死ぬ
現場の勘、暗黙知、段取り、品質のツボ。これらは経験者の領域だ。年齢で切り捨てれば、改善の連鎖が途切れる。
ドイツのマイスターが持つような「改善の技術」が組織に残らない。
この二つが同時に死ぬと、国はどうなるか。日々の改善で競争力を積み上げられず、かといって次の産業も作れない。
つまり「何も生まれない」状態になる。これが衰退の正体だ。
若者偏重が壊すもの
| 壊れる対象 | 本来の担い手 | 失われる能力 | 典型的な症状 |
|---|---|---|---|
| 大胆な革新 | 経験ある設計者・経営者 | 工程分解、資本配分、規制対応 | “夢”は語るが実装できない |
| 現場カイゼン | 熟練者・中堅 | 暗黙知、段取り、品質の勘 | “改善文化”が掛け声になる |
| 組織学習 | 世代混成 | 失敗知の継承 | 同じ失敗を繰り返す |
この表の通り、若者偏重は「若者のため」ではなく、社会全体の学習機能を壊してしまう。
第7章|若者教育は肯定する。だが“限定”は害悪である
ここで再度、誤解を切る。若者教育は必要だ。
基礎知識、思考の型、社会の見取り図、最低限の法と会計、プロジェクトの回し方。これらは若いうちに学んだほうが強い。教育は投資であり、社会の基盤だ。
社会人としてのスタートのベースラインは、高ければ高いほど良い。
だが、だからこそ「学生限定」にしてはいけない。挑戦機会は年齢不問で与えられるべきだ。
ここまでの論で明らかにしてきた通り、むしろ社会経験がある人のほうが命題設定の精度が高い。
経験者が学び直し、再挑戦できる市場を作るほうが、イノベーションの確率は上がる。若者だけを鍛えても、実装の現場が古い幻想の経営に支配されていたら、若者は潰れるだけだ。
若い時分の熱量は実社会の利害の沼に足を捕られ、旬を過ぎて中高年になれば「要らない」と言われる。まさに企業が現在行っていることだ。
若者はバカでは無い。企業側がいくら「若者信仰」を演出したところで、今現在の中高年の扱いに、自分たちの未来を投影している。これではエンゲージメントが生まれるはずがない。
終章|全世代、全属性の能力を国全体で使いきれ
日本が必要としているのは、「青田創り」などという言葉遊びではない。
必要なのは、全世代が日本経済の成長に参加できる社会設計である。
若者が夢を語り、余りある体力で邁進することも重要だ。
経験者がその経験から命題を得て、工程までを設計し、社会実装を実現することも必要だ。
それらの両者が混ざって、日本の経済に活気をもたらす。刺激し合い、時に修正を回す。これこそが本来の強さだ。
若者だけを未来の容器にして、現在の知恵や経験を捨てる国は、国際社会で勝てない。
そして何より、勝てない理由を「若者の熱量不足」に押し付ける国は、もっと勝てない。
若者は未来の容器ではない。中高年も過去の残骸ではない。
未来は、年齢ではなく、責任を引き受けて具体性を持たせる人間が作る。
「若者の可能性」といった聞こえの良い上っ面の正義を振りかざした瞬間、国は小さな改善も大きな革新も同時に失う。
それが、いま日本で起きていることだ。
元記事:学生の青田買いから青田創りに向かう企業の本音 「世界で勝てない!」日本企業の採用の焦り(東洋経済オンライン)