オリンパスのジョブ型偽装は、『一罰百戒』企業淘汰にも値する罪だ(2025.6.11)

1. 制度をかたる暴力

ジョブ型雇用は本来、仕事の中身と報酬を明確にし、透明な評価と公平な処遇を実現するための仕組みだ。だが、サンデー毎日×週刊エコノミストの記事によると、オリンパスマーケティングが導入したのは、その皮をかぶった別物だった。

  • 非管理職向けの職務記述書を用意しない
  • 降格の理由説明が一切なされない
  • 200人の降格・減給を一方的に通知
  • 新卒並の待遇への引き下げを強行

これを制度と呼ぶこと自体が欺瞞であり、むしろジョブ型という言葉を悪用した「制度を装った搾取」に他ならない。

加えて、降格された社員の中には自殺未遂者も発生しているとされており、これは単なる制度運用ミスではなく、人命すら軽視する企業姿勢の露呈と言える。

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2. 露呈したのは、企業の“労働者観”である

今回の問題で最も強調すべきは、オリンパスという企業に見て取れる姿勢──「労働者を道具としか見ていない」という冷徹な企業観だ。

  • 労働者は減給しても何も言わないと信じている
  • 補充可能なコマとして扱っている
  • 自殺者が出ても経営としての責任を感じない

このような企業には、「人材」という言葉の意味がそもそも存在しない。スキルも人格も貢献も関係なく、企業の“コスト項目”としてしか見ていないのではないか。この構造は単なるブラック企業を超えた「労働者否定の経営思想」とも言える。


3. 労働者を軽視する企業が陥る“無敵の人状態”

この手の企業の危険な点は、倫理的な痛覚を完全に失っていることだ。

“人が辞めても、代わりが来れば問題ない”

と信じている。結果として、以下のような悪循環が始まる。

段階症状
1優秀な人材が離脱
2組織内に無関心と不信が蔓延
3新たに入る人材の質が低下
4業績・ブランドが劣化
5さらに倫理を切り捨てる経営体質が固定化

この構造は、企業内部から組織文化と知の蓄積を奪い去り、「人材がいても成果が出ない会社」へと変貌させていく。

さらに言えば、経営が“誰も信用していない”姿勢を露骨に示せば、現場もまた“何も信じない”空気に染まっていく。そうして生まれるのが、「静かなる死」、つまり“無風で進行する組織の崩壊”である。


4. 「数は揃っても質は崩れる」──代替可能性の幻想

労働者が辞めても補充すればよい──そう考える企業は多い。しかし、そこで入れ替わるのは「数」であり、「質」ではない。

  • 何年も顧客との信頼関係を築いた営業職は、新人では代替できない
  • 暗黙知や判断力、調整力は、履歴書に書けない“財産”である

結果として、組織の代謝ではなく、空洞化が起きる。

人材が補充されても、会社が回らないのは、”信用”と”魂”が抜けているからだ。


5. 社会全体への悪影響──制度信頼の崩壊

オリンパスが犯したと指摘される罪は、個社のスキャンダルにとどまらない。

  • ジョブ型雇用そのものへの信頼失墜
  • 他社が制度導入をためらうようになる
  • 「改革」と称して何でも許される空気の助長

ジョブ型という制度は、人材市場の流動化と適材適所を進める“未来の雇用の鍵”であるはずだ。その信頼を、オリンパスは自らの都合のために踏みにじったと言える。


6. 社会的制裁という選択肢──企業は“選ばれる存在”である

こうした企業が生き残る社会は、倫理の崩壊を意味する。従って必要なのは、「淘汰と排除」の明確な意志だ。社会悪に対抗するには、時には匿名性も利用する必要がある。

労働者ができること

  • 志望しない・働かない・紹介しない
  • SNSや口コミで実態を共有する
  • 「職務経歴書に書きたくない会社」には行かない

消費者ができること

  • 商品・サービスの購入を避ける
  • 倫理的な購買行動を推進する
  • 不買運動やレビュー評価で実態を広める

投資家・社会ができること

  • ESG評価で“除外銘柄”として認識させる
  • 株主総会や報告書で追及する
  • 政府に対して「モデル企業失格」の声明を出す

企業が選ばれる時代に、選ばれないことは“死”にも等しい。「選択されない」というリスクを背負うことになるのだ。


7. 海外における「社会が企業を潰す」事例との比較

日本では企業が社会的に淘汰される事例は稀だが、海外では“社会の力”が企業の命運を決める構図が数多く存在する。ここではその中でも象徴的な4つのケースを紹介する(GPT調べ)。

◉ ウェルズ・ファーゴ(米・大手銀行)

罪状:顧客の同意なしに200万件以上の口座を不正開設。従業員にノルマを課し、虚偽業務を強要。

  • 議会公聴会で糾弾、CEOは辞任。
  • 数十億ドルの罰金と業務改善命令。
  • 大規模な顧客離れと株価下落。

→ 社会からの信頼喪失が、株主と顧客による“事実上の制裁”につながった。

◉ アクティビジョン・ブリザード(米・ゲーム開発)

罪状:社内でのハラスメント、性差別、管理職による不正対応の放置。

  • カリフォルニア州から訴訟。
  • 従業員によるストライキ、内部告発の続出。
  • ユーザーによる不買運動や評価ボイコット。

→ 企業価値が下落し、最終的にMicrosoftに身売り。実質的な“経営破綻”とも言える。

◉ BP(英・石油大手)

罪状:メキシコ湾原油流出事故(2010年)、11人死亡、深刻な環境被害。

  • 国際世論と環境団体が激しく非難。
  • 総額200億ドル超の損害賠償と罰金。
  • 株価は一時的に半減し、ブランド価値が大きく毀損。

→ 社会的責任と環境倫理の重みが企業経営を直撃。”利益を超えた制裁”が実行された。

◉ フォックス・ニュース(米・メディア)

罪状:創業者を中心としたセクハラ、権力による抑圧文化。

  • 内部告発と報道により企業の暗部が表面化。
  • 番組スポンサーの大量離脱。
  • 創業者が辞任し、企業イメージは長期低迷。

→ 視聴者、スポンサー、ジャーナリズムの連携が“市場を使った社会的制裁”となった。


これらの事例に共通するのは、「法に触れていなくても、社会が許さなかった」という点である。市場、投資家、消費者、従業員、メディアが連携し、“倫理違反企業を排除する”力を構造的に持っていたのだ。

日本ではこうした文化が乏しいと言われてきたが、SNSや透明化が進んだ今、同様の圧力は十分に可能である。むしろ、見せしめとして、このような企業を社会が糾弾できるかどうかが、日本社会の分水嶺なのだ。


8. オリンパスの今後は、他企業への警告である

このようなことは、オリンパスだけではない。

  • 制度の皮を被った人件費削減
  • 労働者を切り捨てるジョブ型偽装
  • 説明責任を放棄し、逃げ切りを図る経営

今も多くの企業が、同じことを静かに画策している。

それらに共通するのは、「人を人として扱う姿勢の欠如」だ。

そして、こうした企業が「何事もなかったように」社会で変わらずに生き延びてしまえば、それは悪しき前例として他社にも波及する。


9. 結論──人から見放された企業は、社会が葬る

法的な強制力が働かなくても、企業は淘汰できる。これからの社会では、倫理を失った企業こそが“人から見放されることで”淘汰されていくのだ。

  • 選ばれない企業に、未来はない
  • 人を軽視する企業に、信頼は集まらない
  • 信頼を失った企業に、資本も人材も流れない

私たちが向かうべきは、人材が企業を選び、企業が社会から評価される構造の強化だ。

そしてその第一歩は、「このような会社では働かない」ことを恐れずに言うことである。

人を粗末にする企業は、存続できない。 働かない・買わない・信じない──それが令和社会の淘汰のかたちである。


「まずは降格ありき」だったオリンパス子会社のジョブ型雇用――職務記述書は作成せず、評価基準は不明確(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline)