

1. 制度をかたる暴力
ジョブ型雇用は本来、仕事の中身と報酬を明確にし、透明な評価と公平な処遇を実現するための仕組みだ。だが、サンデー毎日×週刊エコノミストの記事によると、オリンパスマーケティングが導入したのは、その皮をかぶった別物だった。
- 非管理職向けの職務記述書を用意しない
- 降格の理由説明が一切なされない
- 200人の降格・減給を一方的に通知
- 新卒並の待遇への引き下げを強行
これを制度と呼ぶこと自体が欺瞞であり、むしろジョブ型という言葉を悪用した「制度を装った搾取」に他ならない。
加えて、降格された社員の中には自殺未遂者も発生しているとされており、これは単なる制度運用ミスではなく、人命すら軽視する企業姿勢の露呈と言える。

2. 露呈したのは、企業の“労働者観”である
今回の問題で最も強調すべきは、オリンパスという企業に見て取れる姿勢──「労働者を道具としか見ていない」という冷徹な企業観だ。
- 労働者は減給しても何も言わないと信じている
- 補充可能なコマとして扱っている
- 自殺者が出ても経営としての責任を感じない
このような企業には、「人材」という言葉の意味がそもそも存在しない。スキルも人格も貢献も関係なく、企業の“コスト項目”としてしか見ていないのではないか。この構造は単なるブラック企業を超えた「労働者否定の経営思想」とも言える。
3. 労働者を軽視する企業が陥る“無敵の人状態”
この手の企業の危険な点は、倫理的な痛覚を完全に失っていることだ。
“人が辞めても、代わりが来れば問題ない”
と信じている。結果として、以下のような悪循環が始まる。
| 段階 | 症状 |
|---|---|
| 1 | 優秀な人材が離脱 |
| 2 | 組織内に無関心と不信が蔓延 |
| 3 | 新たに入る人材の質が低下 |
| 4 | 業績・ブランドが劣化 |
| 5 | さらに倫理を切り捨てる経営体質が固定化 |
この構造は、企業内部から組織文化と知の蓄積を奪い去り、「人材がいても成果が出ない会社」へと変貌させていく。
さらに言えば、経営が“誰も信用していない”姿勢を露骨に示せば、現場もまた“何も信じない”空気に染まっていく。そうして生まれるのが、「静かなる死」、つまり“無風で進行する組織の崩壊”である。
4. 「数は揃っても質は崩れる」──代替可能性の幻想
労働者が辞めても補充すればよい──そう考える企業は多い。しかし、そこで入れ替わるのは「数」であり、「質」ではない。
- 何年も顧客との信頼関係を築いた営業職は、新人では代替できない
- 暗黙知や判断力、調整力は、履歴書に書けない“財産”である
結果として、組織の代謝ではなく、空洞化が起きる。
人材が補充されても、会社が回らないのは、”信用”と”魂”が抜けているからだ。
5. 社会全体への悪影響──制度信頼の崩壊
オリンパスが犯したと指摘される罪は、個社のスキャンダルにとどまらない。
- ジョブ型雇用そのものへの信頼失墜
- 他社が制度導入をためらうようになる
- 「改革」と称して何でも許される空気の助長
ジョブ型という制度は、人材市場の流動化と適材適所を進める“未来の雇用の鍵”であるはずだ。その信頼を、オリンパスは自らの都合のために踏みにじったと言える。
6. 社会的制裁という選択肢──企業は“選ばれる存在”である
こうした企業が生き残る社会は、倫理の崩壊を意味する。従って必要なのは、「淘汰と排除」の明確な意志だ。社会悪に対抗するには、時には匿名性も利用する必要がある。
労働者ができること
- 志望しない・働かない・紹介しない
- SNSや口コミで実態を共有する
- 「職務経歴書に書きたくない会社」には行かない
消費者ができること
- 商品・サービスの購入を避ける
- 倫理的な購買行動を推進する
- 不買運動やレビュー評価で実態を広める
投資家・社会ができること
- ESG評価で“除外銘柄”として認識させる
- 株主総会や報告書で追及する
- 政府に対して「モデル企業失格」の声明を出す
企業が選ばれる時代に、選ばれないことは“死”にも等しい。「選択されない」というリスクを背負うことになるのだ。
7. 海外における「社会が企業を潰す」事例との比較
日本では企業が社会的に淘汰される事例は稀だが、海外では“社会の力”が企業の命運を決める構図が数多く存在する。ここではその中でも象徴的な4つのケースを紹介する(GPT調べ)。
◉ ウェルズ・ファーゴ(米・大手銀行)
罪状:顧客の同意なしに200万件以上の口座を不正開設。従業員にノルマを課し、虚偽業務を強要。
- 議会公聴会で糾弾、CEOは辞任。
- 数十億ドルの罰金と業務改善命令。
- 大規模な顧客離れと株価下落。
→ 社会からの信頼喪失が、株主と顧客による“事実上の制裁”につながった。
◉ アクティビジョン・ブリザード(米・ゲーム開発)
罪状:社内でのハラスメント、性差別、管理職による不正対応の放置。
- カリフォルニア州から訴訟。
- 従業員によるストライキ、内部告発の続出。
- ユーザーによる不買運動や評価ボイコット。
→ 企業価値が下落し、最終的にMicrosoftに身売り。実質的な“経営破綻”とも言える。
◉ BP(英・石油大手)
罪状:メキシコ湾原油流出事故(2010年)、11人死亡、深刻な環境被害。
- 国際世論と環境団体が激しく非難。
- 総額200億ドル超の損害賠償と罰金。
- 株価は一時的に半減し、ブランド価値が大きく毀損。
→ 社会的責任と環境倫理の重みが企業経営を直撃。”利益を超えた制裁”が実行された。
◉ フォックス・ニュース(米・メディア)
罪状:創業者を中心としたセクハラ、権力による抑圧文化。
- 内部告発と報道により企業の暗部が表面化。
- 番組スポンサーの大量離脱。
- 創業者が辞任し、企業イメージは長期低迷。
→ 視聴者、スポンサー、ジャーナリズムの連携が“市場を使った社会的制裁”となった。
これらの事例に共通するのは、「法に触れていなくても、社会が許さなかった」という点である。市場、投資家、消費者、従業員、メディアが連携し、“倫理違反企業を排除する”力を構造的に持っていたのだ。
日本ではこうした文化が乏しいと言われてきたが、SNSや透明化が進んだ今、同様の圧力は十分に可能である。むしろ、見せしめとして、このような企業を社会が糾弾できるかどうかが、日本社会の分水嶺なのだ。
8. オリンパスの今後は、他企業への警告である
このようなことは、オリンパスだけではない。
- 制度の皮を被った人件費削減
- 労働者を切り捨てるジョブ型偽装
- 説明責任を放棄し、逃げ切りを図る経営
今も多くの企業が、同じことを静かに画策している。
それらに共通するのは、「人を人として扱う姿勢の欠如」だ。
そして、こうした企業が「何事もなかったように」社会で変わらずに生き延びてしまえば、それは悪しき前例として他社にも波及する。
9. 結論──人から見放された企業は、社会が葬る
法的な強制力が働かなくても、企業は淘汰できる。これからの社会では、倫理を失った企業こそが“人から見放されることで”淘汰されていくのだ。
- 選ばれない企業に、未来はない
- 人を軽視する企業に、信頼は集まらない
- 信頼を失った企業に、資本も人材も流れない
私たちが向かうべきは、人材が企業を選び、企業が社会から評価される構造の強化だ。
そしてその第一歩は、「このような会社では働かない」ことを恐れずに言うことである。
人を粗末にする企業は、存続できない。 働かない・買わない・信じない──それが令和社会の淘汰のかたちである。
「まずは降格ありき」だったオリンパス子会社のジョブ型雇用――職務記述書は作成せず、評価基準は不明確(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline)