なぜ「ゴマすり人材」が上に行く?|人事システム設計で排除しろ(2026.1.27)

序章|なぜ「ゴマすり人材」が上にいるのか

どの会社にも「ゴマすり上司」がいる。目上の役職者の前では腰が低く、言葉は丁寧で、反応も早い。ところが、同僚や部下の前では急に態度が変わる。見下す。命令する。責任を押し付ける。空気が悪くなる。

それでも、なぜか評価される。なぜか出世していく。

敢えて言おう。「持ち上げられると気持ちよくなる」のは、生物学的・進化心理学的にほぼ仕様と言って良い。
特に日本は、文化人類学的にも、ムラ文化、島国文化、あるいは稲作文化といった側面から見て、その傾向が強くなる。
日本の会社において、「ゴマすり」は通用しやすい、起こりやすいエラーなのだ。

しかし、起こりやすいからそれを放置しておいて良い、ということではもちろんない。
問題は、組織の評価構造が、それを許しているということだ。

上司の視界にだけ“良い顔”を出せば勝てる設計。下からの評価が上がらない設計。周囲の摩擦が可視化されない設計。
こういう組織では、ゴマすりは倫理ではなく戦略になる。
問題は個人だけのものではない。人事システムにある

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第1章|「ゴマすり」が合理的になってしまう評価構造

ゴマすりが蔓延する職場には、ほぼ例外なく共通点がある。
人事評価が「上司の専属」であるということだ。
上司の主観が強く、情報源が偏り、反証が入りにくい。

この条件が揃うと、部下側の最適戦略はシンプルに以下の二つのいずれかになる。

  • 成果を積み上げる(時間がかかる/不確実)
  • 上司の印象を固める(即効性/再現性が高い)

合理的に考えて、後者が勝つ。しかも印象操作は、能力の高低に関係なく実行できる。
言い換えれば、誰でも勝ち筋に乗れる「上司を一本釣り」すれば良いのだ。これが恐ろしい。

「上司を気持ちよくさせるサラリーマンスキル」は、短期的に見れば組織内で強い。
会議で相槌が早い。上司の発言を先回りして補足する。飲み会で持ち上げる。批判をせず、追随する。
これらは仕事そのものを進めているように見え、しかも上司の自己像を守れる。本人個人単位で言えば、とても合理的なのだ

これは日本特有の倫理問題ではない。設計ミスだ。
評価が一方向である限り、印象が成果を上書きする。戦略が合理的な環境を作ったのは誰か。社員ではない。設計者側である。


第2章|ゴマすりとハラスメントは同じ構造をしている

ゴマすりは「上に媚びる行為」と理解されがちだが、
組織全体で見ると、むしろ本質は逆にある。

上に媚びた人は、下にも媚びさせる。

自分が受けてきた対応を、権限を持った瞬間に部下へ再演する。
意見を言わせない。空気を読ませる。逆らう者を排除する。

これはハラスメントの構造と完全に重なる。
上には従属し、下に圧をかける二重構造。
理不尽が「通過儀礼」として正当化され、再生産されていく。

重要なのは、これが悪人の問題ではないという点だ。
耐えた者が上がり、上がった者が同じことを繰り返す。
数十年かけて、このような人事任命が繰り返されることで、会社内全体にゆっくり蔓延していくのだ。


第3章|「ゴマすり再生産」は成功体験から生まれる

ゴマすり再生産は、「上司が怖いから起きる」だけではない。
むしろ厄介なのは、成功体験によって強化される場合だ。

ゴマすりで昇進した人は、無意識に結論づける。
「このやり方は正しかった」。自身の道筋を肯定する。

すると、同じ行動を取る部下が“賢く”見える。
逆に、実直だが自身に媚びない人材は“扱いづらく”見える。自身にとっての正しいやり方をしていないから、優秀では無いと判断する。

この現象を、原因説明として整理すると次のようになる。

心理学的メカニズム(整理)

メカニズムなぜ該当するか職場での典型例
社会的学習(モデリング)ゴマすりで成功した行動を「正解モデル」として学習し、同じ行動を取る部下を評価する迎合型部下が「忠誠心が高い」とされ昇進
投影自分の媚び・野心を他者に重ね、似たタイプを「優秀」と感じる実直な人より迎合型が高評価
認知の歪み「迎合は正しい戦略」という信念が固定化され、反証が排除される印象の良さが能力を上書き
環境要因組織文化として迎合が昇進術化し、同質人材が循環上層が迎合体質で固まる

これらの心理学はあくまで説明に過ぎない。心理学的に、どうしても起こり得るエラーであるという裏付けなのだ。
会社の組織論として落とし込んだ際の本質的な問いは、なぜ止める装置が存在しないのかである。


第4章|だから「一人の管理職の良心」に期待するな

元記事には象徴的な一文がある。「部下の評価をするときには、部下の部下の意見も聞かないとダメだと思うようになりました」。美談として消費されがちだが、ここでは敢えて言わせてもらおう。

そんな発見を、管理職個人にさせるな。

それは人事システムの仕事なのだ。評価・任命の設計として、当然に組み込んでおかなければならない。
言われてから情報を集めるのではなく、人事には初めからパーソナリティの情報が集約されているべきなのだ。上司が見ていない顔、同僚が受けている摩擦、部下が感じている圧。そういう評価に関わる情報が、自然に集まる構造を作っておくべきなのだ。
もちろん、100%の情報網羅は難しいだろう。しかし、100%に近づける努力を人事部署は行う必要がある。

「人を疑うのか」という話ではない。あら探しでもない。組織を壊す因子を、権限が渡る前に取り除く
何より、人事がそういった設計を持っていること自体が、ゴマすりやハラスメントの抑止となる。
これは経営の保険であり、成長戦略の土台だ。


第5章|人事の仕事は「管理」ではない、「設計」である

日本企業には古い“人事観”が残っているケースが少なくない。
人数を集めればいい。人を管理すればいい。労務を行えばいい。——それらは人事の枝葉末節であり、最低限だ。
そういう人事だけは、社内ではどうしても「管理部署」と見られる。なぜなら、経営の意思決定に資する情報を持っていないからだ。社内における発言のプライオリティも低下する。

本来の人事は

  • 経営ビジョンを理解し
  • 必要な役割を定義し
  • 特性に基づいて配置し
  • 摩擦が起きる因子を事前に除く

つまり、経営のビジョンを“組織という形”に変換するのが人事の本質である。
ここで必要なのは情報であり、設計であり、判断だ。

人事が情報ハブになれば、評価の一本釣りは崩れる。
逆に、情報ハブになれない人事は、永遠に「回す部署」のままだ。経営に食い込めない。だから軽視される。軽視されるからさらに回すだけになる。組織にとって、最悪の循環が生まれてしまう。


第6章|評価視点を増やすと、ゴマすりは自然に排除される

ゴマすりを排除しようと声高に叫ぶ必要はない。それは経営者の役目であって、人事の役目ではない。
人事は評価システムで勝負するのだ。評価の視点を増やせば、自然に通用しなくなる

人事が持つべき評価・任命の基本装置

360度評価
態度・関係性・権限行使の一貫性を見る。
「一緒に働きたいか」といった人気投票ではなく、「説明責任を果たしたか」「意見が割れたときの振る舞い」「失敗時に責任を引き受けたか」といった行動事実ベースの設問に落とし込む。

権限行使の健全性を問う設問
部下の満足度ではなく、「えこひいきはなかったか」「基準は一貫していたか」「圧で従わせていなかったか」を見る。

横断レビュー
他部署との協働における摩擦、情報共有、再現性を確認し、上方向にしか最適化できない人材を可視化する。

任命前リファレンス(社内版)
一緒に働いて困った点、権限付与の懸念、明確な弱点を確認する。
疑うためではなく、役割適合性を見る工程である。

任命理由の言語化
「なぜこの人か」「何を期待するか」を説明できる状態にする。
言語化できない任命は、印象任命である。

このような評価フローを通して、集約された情報に沿って、組織各所に対して、特性に従って配置する。
これは大変な労力を伴う仕事である。しかし、人事がラクをすべきでは無いというのはこういうことだ。


第7章|「人事でラクをする会社」は、なぜ確実に衰退するのか

人事でラクをするとは、物理的に怠けることだけではない。
問題を単純化し、見ないことだ。

上司評価だけで済ませ、
摩擦情報を扱わず、
判断を言語化しない。

こうした「簡単な人事」は短期的には回る。即断即決の代名詞として、もてはやされることすらある。
だから多くの会社が錯覚する。「この会社はスピード感が売りだ」と。

しかし実際に起きるのは、持続的劣化だ。
まず、まともな人材から去る。
迎合ゲームに意味を感じない人ほど、早く見切りをつける。
仕事にコミットしている人ほど、上司との関係に過剰な意味を求めないものだ。

次に、問題が上がらなくなる。
空気を乱す報告、責任を問われる報告は避けられ、衝突回避が強化される。問題は先送りされ、見えない場所で手につかないほど大きくなっていく。

そして意思決定が鈍る。
上層が同質化し、反証が消え、戦略が空気に支配される。そもそも能力重視が淘汰されているので、必然的に判断も劣後する。

その結果、組織の劣化は年単位で進む。しかし静かな崩壊を止める手段は無い。
なぜなら、能力や判断力、戦略が経営の場から排除されているからだ。


終章|ゴマすり人材を排除するのは「厳しさ」ではない

これはゴマすりだけの問題ではない。ハラスメントも、権限濫用も、同じ構造の産物だ。

問題人材を排除するとは、個人単位での発想や努力ではない。
人事システムとして当然に行われるべきことである。

それを行わないのは、社員に優しい組織でも何でもない。
人事を矮小化し、ラクをしているだけだ。
結果的に、組織の価値を毀損し続けている。

会社が人事を単なる管理部署として扱う限り、構造的にゴマすりは勝ってしまう。
経営のビジョンに従って、問題ある人材を排除する権限と責任を人事に持たせること。それが重要だ。
属人的で、無味無臭の人事しか行えない会社に、成長など無い。

元記事:なんだかんだ「ゴマすり上手」の昇進が早い日本企業の未来は悲惨…元スタバのCEOが実践してきた社員のやる気を損なわない公正な人事とは(集英社オンライン