

序章|「お天道さまは見ている」はマネジメントの失敗
ベテラン俳優の内藤剛志氏が、映画業界を志す若者たちにひとつの金言を贈った。「いい俳優になるためにはゴミを拾え」という教えだ。
誰が見ていなくても楽屋をきれいに使い、靴を揃える。そうした姿勢を続けていれば、いつか「お天道さまは見ている」ように、誰かの目に留まり評価へつながっていくという。
役者という個人の生き方や、職業倫理としてのこの言葉は誠に尊い。しかし、マネジメントの観点からこの美談を考えてみるとどうだろうか。それは経営や組織運営における「機能不全」の姿だ。
現場のプレイヤーが「誰も見ていなくても善処する」のは美しい個人の道徳である。しかし、マネジメント側は「誰かがやったこと」と放置する、ではいけない。それはただの無責任であり職務怠慢だ。
「お天道さまが見ている」という精神論に依存する組織では、誠実な人間から順に疲弊し、離職していく。お天道さまは、給与査定も、キャリアのパスも保障してはくれない。
本稿で問いかけたいのは、個人の心構えではない。マネジメントがいかにして「見えない貢献」を捉え、正当に評価構造へ組み込むかという組織設計である。誰かの偶然の善意に頼る組織から脱却する、業務設計のあり方を深掘りしていく。

第1章|なぜマネジメントは「見えない貢献」を見落とすのか?
営利組織である以上、売上や利益などの「目に見える数字」を追うのは本能的な行動である。成果が出なければ会社は存続できない。
だからこそ、多くのマネージャーは自然と分かりやすいフロントの数字に目を奪われる。
しかし、その裏には「見えない貢献」が確実に存在している。
事務手続きの正確性、システムのバックアップ、事前事後チェック、現場を円滑にする気配り。これら「環境構築」や「リスク回避」の仕事は、完璧にこなされればこなされるほど『何も起きない』。いわば「空気」なのだ。
売上ゼロから1億円を立てた営業マンは盛大に表彰される。しかし重大な契約トラブルを未然に防いで1億円の損失をゼロに抑えた法務担当者は、誰からも気づかれない。人は「発生した事象」には過敏に反応するが、「発生させなかった事象」は認識しにくいのだ。
このような構造を放置した組織はどうなるだろう。
「評価されないなら、自分の数字に直結することしかやらない」という考えに偏るようになる。誰も社内基盤の整備や後輩の育成をやらないフリーライダー社会が形成される。陰で組織を支えていた優秀なバックオフィス人材が離職する。
すると、誰かが負担していた「業務の負債」が一気に破綻し、業務が円滑に回らなくなるのだ。
第2章|サッカーの「バックライン」から学ぶ組織の俯瞰構築
サッカーのチームビルディングを考えてみよう。華々しいゴールを決めるストライカーは、まさに花形だ。移籍市場でも破格の価格がつき、ファンの人気を独占する。ビジネスで言えば、大型案件を獲得する花形営業や新規事業を推進するクリエイターだ。
しかし、世界的なプロ監督で「前線の攻撃陣だけ」を並べてチームを作る者はいない。
優秀な監督の多くは、「最後尾(ゴールキーパーとディフェンスライン)」からチームを構築する。ディフェンスを軽視しないというスタンスだ。
その理由は単純だ。「失点しない状態」を作らなければ、勝率が上がらない。どれだけ前線が毎試合3点を取ろうとも、後ろが脆く4点を奪われれば試合には勝てない。ガバナンスやリスク管理という防衛線が安定して初めて、前線は思い切ってリスクを取って相手陣内に攻め込むことができる。
さらに言えば、前線の優れた決定力も、ボールが無ければどうしようもない。後ろから安全かつ正確にボールを前に運ぶ「ビルドアップ(攻撃の組み立て)」の基盤がなければ、ストライカーのもとにボールは届かない。
フロントが成果を出すためのパスを出し、失敗した際のリスクを後ろで引き受けている存在がいるからこそ、組織は「攻撃」という成果に集中できるのだ。
第3章|得点しなければ試合に勝てないが、ボールを奪わなければ得点できない
サッカーというゲームの性質上、前線とバックラインの評価のされ方は同一ではない。
前線の選手は、89分間消えていても、最後に1ゴールを決めれば「加点評価」を受ける。一方で、ディフェンダーは89分間完璧に相手を抑え込んでも、たった一度の判断ミスで失点すれば「敗因」として「減点評価」を下される。
クリーンシート(無失点)を守ることが「できて当たり前」というゼロ地点に設定されているのだ。
観客やメディアといった「外野」は、目立つ得点や派手なミスだけに一喜一憂していれば良い。しかし、組織の指揮を執る評価者(マネージャー)がそれと同じ目線では、チームは疲弊する。
各ポジションが受ける評価目線
| ポジション・役割 | 観客(外野)の評価目線 | 評価者(マネージャー)が持つべき評価目線 |
| フロント(営業・開発) | 挙げた数字や得点シーンのみを華々しく称賛する【加点】 | 成果そのものを評価しつつ、後ろのサポートに対する敬意を持たせる |
| バックライン(事務・管理) | ミスをした時だけ非難し、無事故は当然とみなす【減点】 | 危険の芽を未然に摘んだポジショニングや、安定稼働の継続性を捉えて評価する【加点】 |
| サポート(基盤・環境) | 存在すら意識せず、不具合が出た時のみ不満を抱く | フロントの集中力を削がないための事前準備や環境維持の功績を捉えて評価する【加点】 |
バックスにできることは「負けないこと」である。自ら能動的にスコアを動かすことは構造的に難しい。
だからこそ、相手の攻撃を遅らせる「ディレイ」や、相手のパスの出所を抑える「予防的プレス」といった目立たない仕事をしっかりとこなすこと自体を、意識的に加点の対象にしなければならない。
失点を未然に防ぎ、ボールを奪い返しているからこそ、初めて得点の機会が生まれるという因果関係を、マネジメント側が深く理解しておく必要がある。優秀なクラブチームの監督は、当然そのような評価を行っている。
第4章|意識論で終わらせないための「業務設計(ジョブデザイン)」
「見えない貢献」が評価されないのは、マネージャーがそれを「業務」として定義していないからだ。厳密に言えば「軽視」している。
事前事後の確認を怠らない、ドキュメントを整える、後工程の負担を減らす、等。これらを「個人の善意」や「人間性の問題」として片付けている。
マネジメントの本質は、「がんばれ」と精神論を語ることではない。チームの勝利に必要な挙動を解体し、「業務」として設計(ジョブデザイン)することだ。
サッカーの例で言えば、カウンターを受けた際、ボールを奪えなくても相手のスピードを落とさせ、味方が戻る時間を稼ぐ「ディレイ」というプレーがある。
ビジネスにおいて、トラブル発生時に即座の完全解決(得点)はできずとも、初期対応を誤らず火種を最小限に抑え、専門部署が動く時間を稼ぐ動きはまさにこのディレイに該当する。
これを単なる事後処理ではない。「リスク拡大を防ぐ重要な戦術ミッション」として業務定義するべきだ。
- 「予防」の業務化:契約リスクの事前抽出や事務エラーのチェックなど。個人KPIやコンピテンシー(行動特性)評価に落とし込む。
- 「循環」の業務化:業務マニュアルの更新や他部署との調整作業など。「後工程の稼働時間を削る業務」として公式にカウントする。
- 「維持」の業務化:トラブルゼロの連続記録やデータ保守の完遂など。明確な定性・定量目標を設定する。
「自分のやっている泥臭い仕事は、雑用ではなくチームを勝たせるための正式なミッションだ」という認識を業務設計によって与えること。そうすることで、裏方の仕事にプロとしての誇りと価値が宿るようになる。
第5章|ピッチの外もチームだ
サッカーにおいて、選手の質が良くても、フィジカルコーチの能力が低ければ選手のケガは多発する。メディカルスタッフの判断が甘ければ完治が遅れ、或いは再発を繰り返す。
ビジネス組織における労務、総務、法務、ITインフラ、経理といったバックオフィス部門は、まさにこの「専門スタッフ陣」である。彼らを「誰でもできるコストセンター」「代わりはいくらでもいる存在」として扱う組織は、人的リスクの連鎖を起こして自滅する。
市場価値の構造上、フロント職とバックオフィス職の報酬水準を完全に同一視にすることは容易ではないだろう。しかし、「報酬水準の違い」と「代えが利く労働力として扱うこと」は全く別の問題である。
マネジメントがピッチ外のプロフェッショナルに対して行うべき実践は以下の通りだ。
- 専門性に対する固有のKPI設定:フロントの売上に紐付く評価ではなく、専門領域における独自の評価軸で正当に報いる。
- 「代えが利かない存在」としての存在承認:経営陣やマネージャーによる社内への明確に言語化公にリスペクトを示す。
- 「守りのプロ」への環境・ツール投資:専門性を存分に発揮できるような環境整備への投資を惜しまない。
裏方の質が下がれば、フロントのパフォーマンスは直接的に引き下げられる。「容易く交換して良い人間などいない」という前提に立つことこそが、強固な組織を作る条件である。
終章|マネジメントとは「お天道さま」の代行者である
「いい俳優になるためにはゴミを拾え。お天道さまは見ている」。
内藤剛志氏が語ったこの言葉は、一人のプロフェッショナルイズムとしての重みがある。だが、冒頭に述べた通り、この教えをそのまま組織運営の言い訳にはできない。
プレイヤーが「誰も見ていなくても努力する」という高い倫理観を持つことは素晴らしい。しかし、マネジメントの役割とは、その切実な努力を「お天道さま」に委ねることではない。マネジメントとは、組織内における「お天道さま」の機能をシステムとして再構築し、代行することに他ならない。
「誰かが見ていてくれるかもしれない」というプレイヤー側の淡い期待を、「この組織では、愚直な貢献も確実に評価される」という確信に変えることだ。
数字を追うフロントの「推進力」と、見えない貢献が支える「耐久力」。その両輪をフラットな眼で見渡し、正当な仕組みとして回し続けることこそが、サステナブルな組織を創り出すマネジメントである。
元記事:「いい俳優になるためにはゴミを拾え」映画の仕事に関わりたいと願う若者たちへ内藤剛志が伝えたいこと(NEWSポストセブン)