

出社義務をめぐる再燃──若手が「辞めたい」と答える理由
完全出社を求める企業に対し、若手の多くが「それなら辞めたい」と答えるという調査結果が出ている。この反応を、「最近の若者は甘えている」と一蹴するのは簡単だ。しかし、問題の本質はもっと深いところにある。現代の働き手は、「出社=悪」と考えているわけではない。彼らが問題視しているのは、「合理性のない出社の強制」に他ならない。
出社に意味があるなら行く。納得できるなら応じる。それが現代の働き手の自然な姿勢であり、決して怠慢ではない。むしろ合理的で、誠実な態度だ。

出社に価値があるか?──タイパとワークライフバランスの視点
リモートで完結できる業務を、わざわざ往復1~2時間かけて通勤してこなす意味はあるのか?オフィスに出社しても、誰とも話さず、PCに向かって黙々と作業をして終わる。こんな状況が常態化している企業も少なくない。
現代の働き手は、時間を“投資”として捉えている。出社には通勤というコストがかかり、その時間は無給であり、生活の中での可処分時間を奪う要素だ。それに見合う「場の価値」がなければ、出社する意味は見いだせない。
- 対面での創造的コラボレーションがある
- 直接のフィードバックや学びが得られる
- チームとの一体感が実感できる
これらがあれば、出社に納得感がある。しかし、それらが無く「とにかく出社しろ」という命令だけが存在する職場では、社員は合理性のなさに違和感を抱くのも当然だ。
通勤は“隠れサービス残業”か?──コストとしての出社
通勤時間は労働時間ではないが、「仕事のために不可欠な時間」である以上、本質的には労働と同質の拘束とも言える。特に片道1時間を超える通勤の場合、月に40時間近くを無給で企業のために使っていることになる。
この構造を若手が“損”だと感じるのは、むしろ当然であり自然な感覚である。旧来型の感覚では、「通勤は当たり前」で済んだかもしれないが、時間や労力の配分を合理的に考える世代にとっては、見過ごせない“負担”だ。
なぜ企業は出社を求めるのか──文化・忠誠・一体感
企業側が出社を求める背景には、単なる業務効率ではなく、文化や一体感、忠誠心といった“目に見えない価値”の維持という意図がある。実際、イーロン・マスク率いるテスラやX、Amazonなども出社義務を再導入しており、その理由はおおむね以下のようなものだ。
- 対面でしか伝わらない価値観や企業文化の継承
- 離職率の低減とエンゲージメントの維持
- 雑談や偶発的な会話からの創造性(セレンディピティ)
これらはたしかに一定の効果がある。だが、企業側の“都合”として語られすぎてはいないかという視点も忘れてはならない。
文化の強要とジョブ型雇用の矛盾
問題は、企業が「文化を吸収しろ」「空気を読め」「場に馴染め」と言う一方で、雇用の継続や昇進の見通しは曖昧なままであることだ。
文化に適応すること、忠誠心を持つことを要求するのであれば、それは暗黙のうちに「長期的に所属すること」「会社の未来にコミットすること」を前提としているはずだ。だが実際には、ジョブ型雇用・成果主義が導入され、労働者は“使い捨て”に近い扱いを受ける場面すらある。
これはいわば、
「忠誠は求めるが、保障はしない」
という、片務的な関係だ。
忠誠を求めるなら、報酬・成長機会・意味を示せ
文化まで含めた全身的な貢献を求めるのであれば、企業はそれに見合うリターンを明示するべきである。
- 報酬や手当の形で“時間の価値”を認める
- 出社によって得られるキャリア上の利益を明示する
- 企業のビジョンや価値観を社員の言葉で語れるように共有する
**プロスポーツ選手は、報酬・ポジション・勝てるチームかどうかで移籍を決める。**企業も同様に、「残る理由」「貢献する動機」を明示しなければ、選ばれ続けることはできない。
働き手は“納得”によって動く時代に
出社が悪なのではない。文化に反発しているのでもない。“意味のないもの”を一方的に強制されることに対して、労働者は敏感になっているだけである。
- 出社に意味があれば、出社する
- 貢献に見合うリターンがあれば、尽くす
この“当たり前の感覚”が、これからの企業と働き手の関係を決めていく。
合理性なき出社には、もう誰も納得しない時代が来ている。
完全出社なら「仕事を辞めたい」と回答、若手社員の半数に – オルタナ