

序章|レゾナック髙橋社長の言葉は、何を問い直しているのか
「全員は幸せにできません。ただし、幸せの総和が大きくなるような会社にします」
この言葉は、2022年に旧昭和電工と旧日立化成が統合して生まれたレゾナックで、社長を務める 髙橋秀仁 氏の発言である。
同氏は、服装のカジュアル化や呼称の統一といった表層的な変化だけでなく、「企業文化のスクラップアンドビルド」を掲げ、経営・人材・マネジメントの在り方そのものを問い直してきた。
この発言を「冷たい」「成果主義的だ」と受け取る向きもある。しかし、ここで語られているのは個人の切り捨てではない。組織は感情ではなく、構造として成立するという現実を、正面から言語化した言葉だ。
対照的なのが、いわゆるJTC(Japanese Traditional Company)である。
JTCでは、年功序列、終身雇用、新卒一括採用、学歴主義といった制度が長年「当たり前」とされ、判断は空気や前例、内部の力関係に委ねられてきた。結果として、判断軸は不明瞭になり、マネジメントは属人化していった。
本稿のテーマは明確だ。
マネジメントとは、パーパスとバリューを基準に「組織の総和」を最大化する行為である。
以下では、この原理を軸に、総和・制度・経営・マネジメント・管理職任命までを整理していく。

第1章|マネジメントとは「パーパスとバリューの運用」である
マネジメントは、しばしば「人をうまく扱う技術」や「調整力」「気配り」と誤解される。
しかし、それは結果論にすぎない。
本質はもっと単純だ。マネジメントとは、判断の連続である。
人事においてのそれは、
- 誰を評価するか
- 誰を任命するか
- 誰を活かし、誰を配置転換するか
- どこで線を引き、どこで許容するか
これらの判断を一貫させるために必要なのが、パーパス(会社の目的)とバリュー(会社における価値)である。
パーパスとバリューは、理念やスローガンではない。
日々の業務判断に対して「それは正しいか、正しくないか」を即座に問うための判断装置として機能する。
経営者からのパーパスとバリューの明示は、社員全員に対して「この基準で自律的に仕事をしてくれ」というメッセージなのだ。
元記事中にある『本当に「いい会社」というのは、経営者が明確に「この組織は何者だ」というのを語れる』という言葉は、そのことを示している。
第2章|すべては「総和」で評価される
髙橋氏の言う「幸せの総和」という言葉は、マネジメントの核心を突いている。
以下は、2023~2025年のGallup「State of the Global Workplace」報告、厚生労働省・連合・モチベーションエンジニアリング研究所などの国内調査、国際研究を基にした概略比較である。
| 地域 | エンゲージメント率 | ES(満足度) | 離職率への影響 |
|---|---|---|---|
| 日本 | 約6% | 約60〜70% | 約20〜30%低下 |
| 米国 | 約30% | 約70〜80% | 約21〜51%低下 |
| 欧州平均 | 約13% | 約65〜75% | 約20〜40%低下 |
| ドイツ | 約15〜18% | 約70% | 約20〜40%低下 |
エンゲージメント(貢献意欲)率が高く、ES(従業員満足)水準も高い地域ほど、離職率の低下幅が大きい。
米国では21〜51%、ドイツや欧州でも20〜40%という大きな低下が確認されている。離職率の低下は、エンゲージメントとESが“組織全体として”高い水準にある場合に生じている。
日本は対照的な位置にある。
ESは中程度に保たれているが、エンゲージメント率は約6%と極端に低い。
その結果、離職率は高止まりし、低下幅も限定的にとどまっている。
社員や業務の選別がエンゲージメントとESの総量を高める
この比較から導かれるのは、次の一点である。
離職率を左右しているのは、エンゲージメントとESがどれだけ“総量として積み上がっているか”である。
米国やドイツで見られる大きな離職率低下は、
組織全体として、参加・貢献の度合いと満足度が高い水準で成立していることの結果と言える。
「全員は幸せにできません。ただし、幸せの総和が大きくなるような会社にします」
という髙橋秀仁氏の言葉は、
パーパスやバリューに基づいて、社員や業務の選別を行い、
組織全体のエンゲージメントとESの総量を高めることで、
結果として会社全体、社員全体の幸せの総和を高める──と言うことだ。
その因果関係を、先のデータが明確に示している。
第3章|服装・働き方・年功序列は、すべて同一線上にある
レゾナックにおける「カジュアルな服装の促進」が象徴的に語られるのは、それが分かりやすいからだ。
しかし、「スーツ問題」の正体は服装の是非ではないし、髙橋氏の改革の本丸はもちろん服装ではない。
「脱JTC」とは服装改革ではなく、目的合理性の徹底のことなのだ。
髙橋氏が問うているのは、ただ一つだ。
その行為は、仕事の目的達成に本当に必要か。
だから彼は、スーツが成果に資するなら否定しないだろう。
顧客との信頼形成、安全・法規制、専門性の演出が目的に直結するなら着る。
彼が切り捨てているのは、
「昔からそうだから」「偉そうに見えるから」という目的不在の慣習である。
これは反・形式主義であって、反・スーツではない。
「目的→手段」の徹底だ。
年功序列・終身雇用・新卒一括・学歴主義への批判も同じだ。
それら自体が悪いのではない。戦後復興や高度経済成長期には必要なものだったのは確かだ。
しかし現代においては、もはや目的達成の合理的手段ではなくなったことを問題にしている。
だから評価軸は、年次、年齢、新卒中途、性別などの属性ではなく、
パーパスとバリューを今どう体現しているかになる。
「バリューを持たない人材は淘汰される」という言葉がそのことを示している。
脱JTCとは、ただ無秩序に伝統を壊すことではない。
目的に照らして、要らないものだけを捨てること。
そしてそれを会社のトップとして明確に表明し、組織の隅々まで浸透させる覚悟のことである。
第4章|パーパスとバリューを決めるのは、経営者の仕事だ
会社という組織において、パーパスとバリューを作る役割と、
それを実行する役割は、明確に違う。
パーパスとバリューを決めるのは、経営者の役割だ。
なぜならそれは、
「この会社を経営者として、社員と一緒にどこに向かわせるのか」
という宣言だからだ。
髙橋秀仁氏が語る「自分は何者か」「この組織は何者か」とは、そのことに他ならない。
そして、それは必然的に会社の業務における
- 評価の基準
- 判断の基準
- 任命の基準
となる。
経営者の決めたパーパス(会社がどこに向かうか)のために、
社員がどのようなバリュー(貢献実行できること)があるのか。
パーパスに向けたバリューを持っている社員を採用、昇進等させる人事考課。
あるいは、商品開発、販売、広報といったあらゆる業務において、
パーパスに向けた成果を挙げるための判断とは何か。
また、パーパスに向けた成果を挙げるためのチームビルディングと
それを実行するためのマネージャーの任命。
あらゆる場面において、パーパスという基準があることで、何が正解かわからない現代のビジネスの世界という大海原で、会社という名の大船団を目指す大地に向かわせることができるようになる。
つまり、経営者がパーパスとバリューを設定して、それを社員に共有するのは
「会社としての正解」を決めるということなのだ。
第5章|優秀なマネジメントとは「翻訳」である
経営が語るパーパスとバリューは、そのままでは現場では機能しない。
あまりに大きすぎて、または未来過ぎるために、現在現場における仕事の基準としては持て余してしまう。
だからこそ、
会社のパーパスとバリューを現場レベルに落とし込めるマネジメントが必要になる。
優秀なマネージャーは、経営の言葉をそのままオウム返ししない。
- この人の行動は、パーパスに寄与しているか
- この成果の出し方は、バリューを体現しているか
- チームの総和は、バリューに照らして上がっているか
- 自分の判断は、会社としての正解に沿っているか
といった形で、現在現場における具体的な判断に翻訳する。
その翻訳の精度こそが、マネージャーの優秀さの尺度となる。
マネージャーとは、社員や現場を管理するためだけの存在では無い。
サッカーで例えれば、最後列からのキーパーの意図を組んで、前線へのゲームビルディングを担うボランチであり、
または監督からの指示を全体に伝えるキャプテンの役割である。
野球に例えれば、監督のゲームプランを、選手の具体的なプレーに落とし込むコーチの役割である。
ただ言葉を運ぶだけでは無く、現場での状況に沿って、具体的な指示に翻訳できることが、
優秀なマネジメントなのだ。
第6章|人材の活用も排除も、パーパスに沿って判断実行せよ
さらには、全体へのバリューをもたらさない人材もいる。
個人単体としてバリューを持たない場合は是非も無いが、
数字だけは上げるなど単体としてバリューがあるが、チームに不和をもたらしがちなど
チーム総和としてのバリューを毀損するケースもある。
個人最適と全体最適を分けて評価することが重要だ。
単純な短期的売り上げだけを見ていれば、数字を上げるプレーヤーは重要だが、
優秀なマネージャーは数字だけでなく
- 周囲への影響
- 心理的安全性への寄与
- 協働の質
を観測している。
「誰が優秀か」ではなく、「この組み合わせは機能しているか」で評価をするのだ。
尖った人材を切るのは簡単だ。また、放任放置するのも簡単だ。
一番難しいのは、尖りを構造の中に組み込むことだ。
「好き嫌い」ではなく、総和(他者の生産性・心理安全・離職・学習)への影響で判定する。
1) その尖りは「成果の源泉」か「組織コスト」かを判定し、
2) 尖りを“チームの機能”に変換する組み込み方を設計し、
3) “許容”ではなく“統制“のための運用ルールを握り、
4) それでも総和が上がらないなら、排除する
これらのステップを踏むことで、総和を拡大し、チームバリューを最大化することができる。
また、リスキーな人材を省く基準ともなる。
人材を”活かす”のも”排除する”のも、パーパスに沿って、判断実行する。
それが優秀なマネージャーだ。
第6章|管理職任命基準こそが、マネジメントの核心である
最後に行き着くのが、管理職任命の問題だ。
ここまで論じてきた内容を実行するために会社が行える唯一の手段、
それがマネージャー=管理職の任命なのだ。
人選によって、パーパス達成までの時間、バリューの精度が劇的に変化する。
会社がパーパス達成のためにどれほど立派な制度を作っても、
任命が政治で行われた瞬間、すべては破綻する。
管理職とは、経営者が定めた「会社としての正解(パーパスとバリュー)」を、
日々の現場判断に翻訳できる人間であるべきだ。
これができない人材を、
- 数字
- 内部の権力関係、社内政治
- 年功序列
- ジェンダー
といった理由で任命すること自体が、経営の自己否定になる。
管理職の任命とは、
「最も成果を出した人」を選ぶ行為ではない。
「会社としての正解を、最も正確に現場へ実装できる人」を選ぶ行為である。
そして、その正解を定義できるのは経営者だけであり、
その正解の実現を実行できる手段は管理職の任命だけなのだ。
終章|正解を決め、実装し、総和を高め続ける組織へ
経営者が本来行うべき仕事は、決して多くない。
会社としての正解を決めること。
それがパーパスとバリューの設定だ。
そして、それに従ってマネージャーを任命すること。
個別具体的な業務はマネージャーの領分となる。
そして、マネージャーが行うべきことは明確だ。
会社のパーパスとバリューに従って、チームビルディングを行い、
業務判断や評価を通じて、組織としてのバリュー総和を高め続けること。
それ以外に、マネジメントの仕事は存在しない。
マネージャーはパーパスへの理解と、部下のバリュー評価の精度を求められるのだ。
だからこそ、経営者は人事に手を抜くべきではない。
間違っても、「学生感覚に近い」という理由だけで若手に任せられる仕事では無いのだ。
自社が実現したいパーパスがあるのかどうか。人事や採用方針で、それは体現されてしまっている。
元記事|変化を勝ち抜く組織はこう作る。「大企業=安心」ではない時代の、会社と社員の新しい関係 | ハフポスト NEWS