

「飲み会に出ない人は信頼されない」という論調が、いま令和に語られている異常
この記事、そしてこの筆者の主張には、「いつの時代の人?」と強い違和感を覚える。
なぜならそれは、過去に職場で苦しんできた多くの人々が変えようと努力してきた価値観を、再び肯定しようとしているからだ。
「飲み会に出ない人は信頼されない」
「同じテンションで“組織に熱量”を注がないと助けてもらえない」
「つきあいが希薄な人間は冷遇される」
──そうした論調は、職場の人間関係を“空気”で支配し、異質な個を排除する構造を温存するだけである。これは単なる職場論ではなく、職場いじめの理屈を正当化しているとさえ言える。
本稿ではこの主張を多面的に検証し、
- 何が問題なのか
- なぜその考え方が過去の職場文化を引き戻すのか
- では、これからの職場はどうあるべきか
を明確に提示していく。
「空気を読まない人は助けてもらえない」は、もはやいじめの理屈
この記事が語る構造はこうだ:
- 飲み会や雑談に参加しない人は「信頼されない」
- 信頼されない人は「トラブルが起きたときに助けてもらえない」
- だから「損をする」
つまり、「助けてもらいたければ、ノリを合わせろ」と言っているに等しい。
これは冷静に考えれば、いじめや排除の典型的な構図である。
状況 | 解釈 |
---|---|
飲み会に出ない | 忠誠心が足りない |
雑談に入らない | ノリが悪い |
空気を壊す | 協調性がない |
冷遇される | 自業自得 |
行動に“人格的評価”を結びつけ、それを排除の根拠にしている点で、非常に危険な価値観である。
昭和の価値観を「日本の文化」として再定義するな
この筆者は、「みんなで熱量を共有することがチームである」「半身の人は見抜かれ、助けられない」と主張し、それを“ホモ・サピエンスの本能”などという言葉で正当化している。
しかし、それは違う。
それはかつての日本企業が作り出した、会社に人生を捧げた時代の幻想であり、いまなお続く課題である。
そして、それを「日本ってこういう国だったじゃない」と言い切る姿勢には、以下の3つの問題がある:
1. 過去の誤りを“文化”として固定化してしまう
昭和的な働かせ方は、長時間労働・過労死・パワハラといった多くの問題を引き起こした。
それを「文化」や「本能」と呼んで免罪するのは、改善の努力を否定する行為である。
2. 変わろうとしている現場を否定する
企業や労働者は少しずつ改革を進めてきた。飲み会強制の見直し、定時退社推奨、リモート対応──すべて「空気より成果」の社会を目指す試みだ。
それを真っ向から否定するのは、現場への侮辱でしかない。
3. 自分が苦労して築いた「やり方」を若者に押しつけているだけ
結局、「自分はそれでうまくやってきた」という成功体験の押しつけでしかない。だが、時代も、経済も、価値観も変わった。
過去の成功体験を現代の正解とするのは、思考停止である。
空気を読む文化は、職場を劣化させる
空気を読むことが評価基準になった職場には、以下のような弊害が生まれる。
■【1】定時で帰れない
他の人が残っているのに一人だけ帰ると、「協調性がない」と言われる。
結果、生産性よりも“滞在時間”が重要視されるようになる。
■【2】成果より“ノリ”が評価される
パフォーマンス残業や“頑張ってる感”が評価され、効率良く仕事を終わらせる人が不利になる。
■【3】問題提起ができなくなる
場の空気を乱すことが「悪」とされ、職場の改善提案すらできなくなる。
■【4】異質な人材が淘汰される
静かな人、控えめな人、論理的に物を考える人が、チームに合わないとされ排除される。
こうして、「空気を読める人だけが生き残る職場」になっていく。
それは多様性の否定であり、停滞の始まりである。
協調性とは「迎合」ではなく「相互尊重」である
ここで改めて強調したいのは、「協調性は不要」と言っているのではないという点だ。
協調性とは本来、
- 他者のスタイルを尊重し
- 違いを前提にした上で
- 建設的に連携できること
であって、「皆と同じ熱量を見せること」や「飲み会に出ること」ではない。
つまり、「協調性があるかどうか」は、業務上の貢献・責任の遂行・他者への配慮など、行動の本質で測られるべきである。
「冷めた態度」の人を排除してはいけない理由
この筆者は、「醒めている人は見抜かれる」「助けられない」と語るが、ここにも重大な誤解がある。
実際の職場には、
- 感情的なノリを避ける人
- 組織に一線を引いて接する人
- 自分の役割に徹する人
など、意図的に“熱量”を抑えたスタイルで組織に貢献している人材が存在する。
彼らは「やる気がない」のではなく、冷静にプロフェッショナルとして振る舞っているだけである。
そういった人材を「協調性がない」と決めつけて排除することは、組織にとって明確な損失である。
では、どうすればいいのか?
批判だけでは不十分だ。
これからの職場が向かうべき道を、以下の5点に整理する。
改善ポイント | 内容 |
---|---|
1. 信頼と成果で評価する | 飲み会や社交性ではなく、業務の結果や誠実な姿勢を評価基準とする。 |
2. 多様なスタイルを受け入れる | 声の大きな人も、静かな人も、それぞれの貢献の形を認める。 |
3. 空気で縛らない職場設計 | 暗黙の了解ではなく、ルール・制度で安心して働ける場を整備する。 |
4. 管理職こそアップデートを | 若手に合わせる柔軟性こそが、令和のマネジメント力。 |
5. 「つきあい」は任意と明示する | 飲み会・雑談を強制しないと社内ルールで明文化する。 |
結論:空気を読む時代は終わった
職場における信頼とは、「飲み会に出ること」や「一体感を演出すること」ではなく、誠実に責任を果たすことによって築かれるべきだ。
「空気を壊すな」
「ノリが悪いやつは信頼されない」
そんな時代は終わった。
これからの組織は、成果と相互尊重でつながっていく。
それを妨げる“古い論理”には、はっきりNOと言うべきである。
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