

はじめに:「信頼関係を築けば辞めない」は本当か?
「心理的安全性」「信頼構築」「関係性の深耕」── 近年の人事・マネジメント領域では、このような言葉が頻繁に語られます。
退職を防ぐには、部下との信頼を築け── 1on1を定期的に行い、雑談を交え、弱みを見せ、共通点を探り、「人としてのつながり」を育め──
確かに、これらの手法が功を奏するケースもあるでしょう。できるなら、やったほうがいい。それ自体は間違いではありません。
しかし一方で、「信頼関係を築くべき」という義務感そのものが、現場を不自然な緊張で包み、かえって関係を歪ませている現実も見逃せません。特に、無理に人間関係を構築しようとすることが、管理職=上司側に過大な情緒的負担を強いるケースも多く、「そこまでして関係を続けるべきか」という問いが、現場から上がってくるのも無理はないのです。

合わない人は、何をしても合わない
仕事においても、人生においても、「人間関係の相性」というのは確かに存在します。 どんなに丁寧に接しても、どんなに自己開示をしても、噛み合わない相手というのは、一定数存在します。
上司と部下という関係であればなおさら、立場や価値観の違いも相まって、どうしても関係が冷え込む、すれ違う、あるいは気詰まりになる──
そしてここで問題になるのが、「それでも関係を改善しなければならない」という思い込みです。
職場は結婚ではない
職場の人間関係と、結婚や家族の人間関係は、本質的に異なります。
| 比較項目 | 職場 | 結婚・家族 |
|---|---|---|
| 法的拘束力 | 雇用契約に基づく任意契約 | 親族関係として民法上の拘束を受ける |
| 終了の自由度 | 退職は原則自由(民法627条) | 離婚には調停・合意・財産分与が伴う |
| 継続の強制力 | なし | 子供や社会的責任により強く発生 |
| 感情の濃度 | 薄くても機能可能 | 愛情・信頼がなければ成立困難 |
結婚では、「合わなくても続けるべき理由」があります。 だが職場は違う。契約関係であり、割り切りが許される関係です。
「無理な関係」の末路──冷え切った関係性は破綻する
無理に人間関係を繋ぎ止めようとすることは、かえって破綻を招きます。 それは、職場の雰囲気か、人間関係か、仕事の内容か、いずれかの形で露呈するでしょう。まるで、冷え切った夫婦が「子どものために」と無理に一緒にいるような状態。
実際の職場ではこんな状況が起こります:
- 表面上は礼儀正しく接するが、実質は“無関心”
- チーム内の空気がぎこちなく、誰も本音を言わない
- 離職する側は「もう限界でした」と静かにフェードアウト
こうした関係は、本人だけでなくチームや部下全体を疲弊させます。
なぜ「信頼構築」が強調されるのか──終身雇用の残骸
この記事で語られるような「信頼構築」「対話の継続」「心理的安全性の確保」── これらの発想は、本来終身雇用モデルの文脈でこそ成立していたものでしょう。
- 一度採用したら、定年まで面倒を見る
- 転職は稀で、社内異動で解決するのが基本
- だからこそ、職場関係を「壊さず保つこと」が重視された
しかし、現代は違います。
- 転職は当たり前
- 契約もジョブ型へ移行しつつある
- 役割の専門化と流動化が進んでいる
そんな中で、「一人一人と強い関係を築こう」とするのは、明らかに制度設計と合っていないのです。
仕事とは合理的に結果を求めるもの
職場は成果の場です。 うまくいっていない関係を「人間関係だから大事にしよう」と無理に維持するのは、誰にとっても不幸です。
本来、仕事はもっとドライであって良いのです。信頼が自然と生まれたなら素晴らしい。 でも、それを第一に据えるべきではない。結果を出すことが目的であり、関係性は手段にすぎない──これがビジネスにおける本来の視点です。
人間関係で従業員をつなぎ止めようとするなら、いずれ破綻します。 なぜなら、組織と人との関係は、条件と成果のトレードオフであるべきだからです。
良い人材を求めるなら、良い条件を出すべき
企業が優秀な人材を求めるのであれば、良い条件と環境を整えることが筋です。 給与、制度、キャリアパス、裁量、リモート環境──どれも「人を惹きつける」ための明確な材料です。信頼関係や心理的安全性も価値ある要素ではありますが、それは条件の補助的要素な「環境の一部」です。
「待遇では勝てないが、うちには人間関係がある」──それが通用するのは、好条件が揃っていて初めて説得力を持ちます。
条件を出せないなら、それに応じる層を受け入れる覚悟が必要です。 それが市場であり、契約というものです。
職場は家族じゃない。職場は契約である。
職場はあくまで、契約関係にもとづいた成果を出すための場です。
- 合わない人がいてもいい
- 信頼が築けなくても、システムとして成果が出ることが重要
- 無理に関係を維持するために、成果が犠牲になるべきではない
そのうえで、もし信頼が生まれたら──それは“幸福”なことであり、“前提”ではない。
人間関係を第一手に置くような組織設計は、雇用契約という仕組みからして不健全なのです。
結論:「信頼」は義務ではない。「契約」が基盤であるべき
- 信頼は築けたら良いが、築くことが義務ではない
- 仕事は結果が優先。人間関係は手段のひとつにすぎない
- 職場は契約であり、対価と成果が対等であるべき
- 合わないものを無理に合わせようとすべきではない
無理な関係構築に疲れ果てる前に、「そもそも職場とは何なのか」を問い直すべき時が来ています。