価値を生む『外国人財』と国を疲弊させるだけの『外国人労働力』(2025.10.17)

序章|「年収800万のミャンマー人社員」が象徴するもの

人気ラーメン店「すごい煮干ラーメン凪」を展開する凪スピリッツジャパンでは、外国籍社員が幹部として活躍している。中には、特定技能2号を取得し、年収800万円を実現したミャンマー出身の社員も存在するという。

この事実だけを切り取れば、「外国人登用は正義」「多様性は利益を生む」といった言説が並びがちだが、外国人人材を巡る実態はもっと複雑だ。

凪の事例は紛れもなく成功だが、“例外的な成功”であり、その背後には理念の共有、教育投資、評価の透明性といった強い組織文化が存在している。都合の良い外国人だから雇ったのではない。企業の成長に必要な人材だから採用し、育成したのだ。
出店の場所柄、外国人観光客なども多く、コミュニケーションできる人材ということもあるし、また海外店舗の出店にも積極的であり、国内で育成した人材であれば安心して出店を任せられるということもあるのだろう。

しかし、日本国内における現実の多くの外国人雇用は、そうではない。「安く」「文句を言わず」「代替可能」な存在だから雇用しているケースが大半である。

本稿では、凪スピリッツの事例を起点に、「高付加価値外国人材」とは何かを明確にしながら、現代日本が陥っている“安価な労働力依存”の構造的リスクを解き明かす。

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第1章|外国人を“人”ではなく“労働力”として扱う国

現代日本における外国人雇用の多くは、残念ながら人を人として扱っていない。技能実習制度に象徴されるように、外国人は「人材」ではなく「労働力」として、補充可能で使い捨て前提の労働市場に組み込まれている。

■ 社会の構造としての「人件費圧縮装置」

  • 安価で働く人材がいることで、日本企業は価格転嫁や付加価値向上の努力を怠る
  • 人手不足の真因(高齢化・低賃金・再雇用の不備)に向き合わないまま、外国人で帳尻を合わせる
  • AI・自動化投資も先送りされ、全体の生産性は下がる一方

■ 社会不安定化という副作用

外国人を単純労働者として大量に投入すれば、以下の副作用も同時に生じる:

  • 地域社会との摩擦(生活習慣・言語・ゴミ出しルール・騒音など)
  • 治安の不安(非正規就労・不法滞在・多国籍コミュニティの分断)
  • 日本人の働く意欲と報酬水準の低下(置き換えられる側のモチベーション喪失)

労働者としてではなく、“人間として”迎え入れる設計がなければ、いずれ共生ではなく衝突を生む。

こうした環境は、外国人にとっても幸福ではなく、日本人にとっても競争に晒される緊張を生み出す。社会としての安定を失ってまで維持するべきモデルではない。


第2章|渡来人は「高付加価値外国人材」だった

「日本は渡来人の文化的恩恵を受けてきた。だから現代も外国人を受け入れるべき」という主張は、歴史の事実としては正しい。
しかし、決定的に異なるのは渡来人の質”と“国への影響”である。

渡来人とは、国家や文化、経済に影響を及ぼすレベルの知識や技術を持ち込み、それを日本社会に根づかせ、発展させた“高付加価値の外国人材”であった。
彼らが担ったのは以下のような役割である:

分野主な貢献内容
制度・思想陰陽道・暦法による国家儀式の整備、仏教宗派の体系化、漢方による医学体系の導入
医学・薬学薬草知識、鍼灸、酒・発酵などの養生法。現代漢方・代替医療の基礎形成にも繋がった
工芸・生産技術須恵器・青磁などの窯業、絹・綾織・羅織などの染織、刀剣・仏具などの金属加工技術
芸術・文化仏教絵画、唐絵、水墨画、庭園設計、雅楽、和太鼓など、多彩な視覚・音楽芸術の導入
教育・継承渡来人の技術を日本人が弟子として学び、後世に再現・発展。地域産業や工芸の核となった

彼らの知見は一時的に消費されるものではなく、後世の日本人に学ばれ、再現され、発展されていった。まさに「文明を移植し、国家基盤を豊かにした存在」である。

安く働く人ではない。日本の歴史と文化を“創った”人たちだった。
現代の単純労働力と安易に同列に語るのは、あまりに失礼であり、議論のすり替えでしかない。


第3章|現代の外国人雇用は「国家を豊かにしない」

一見すると、外国人を受け入れて企業が潤うのは良いことのように見える。しかしその利益の多くは、一部の資本家や経営者にだけ集中し、日本社会全体に還元されない
経営者たちは、目先の利益を確保するために「安く使えて、代替が効く」労働力を確保しようとする。それが日本人でなければ外国人で構わない。スキルがなければ教育せず、使いにくければ切り捨てる。自分さえ得をすればよいという“私益経営”の極地である。

その結果、日本人の労働価値は下がり、外国人労働者は使い捨てられ、地域社会は分断される──誰も得をしない、不幸な構造だけが残る。
このような構造の延命に外国人を使うべきではない。成長でも貢献でもなく、“共倒れの罠”でしかない。


第4章|本当に必要なのは「価値を生む外国人」

外国人を排除せよ、とは言わない。
だが、「人手不足だから誰でもいい」という発想で雇用を進めることは、結果として国の力を削ぐ。そもそも論としても、人手不足ですら無いのだ。日本人の求職者も十分な数いる。条件が合っていないだけだ。

そのような中で必要なのは、次のような“高付加価値型外国人材”である:

  • グローバル展開に強いビジネスパーソン(多言語・多文化に通じ、現地ネットワークを活用できる)
  • 最先端IT・エンジニア人材(AI、クラウド、セキュリティ、UI/UXなどで日本に技術革新をもたらす)
  • 大学・研究機関・スタートアップで日本の未来に貢献する人材(論文・特許・雇用創出)
  • 文化・観光・食における国際的ブランディングに貢献する人材(シェフ、アーティスト、プロモーター)

彼らを迎え入れる環境が整えば、日本の可能性は大きく広がる。逆に言えば、そうした人材すら選ばなくなるようでは、国家の成長は止まる。

外国人を迎え入れるとは、“数を増やす”ことではなく、“価値を増やす”ことなのだ。


第5章|凪スピリッツの外国人雇用は、なぜ成功したのか

凪スピリッツの事例が例外的に成功しているのは、以下の点にある:

  • 外国人を理念共有できる“将来の幹部候補”として採用
  • 年間6600万円という“教育予算10倍”の投資
  • 店舗運営だけでなく、危機管理・事業開発・物件選定まで担わせる
  • 国籍によらず、成果と意欲で昇格・年収アップが可能

これは「安い労働者を補充した」のではなく、“事業を一緒に伸ばせる人材”として正しく扱った結果である。
理念・投資・評価という三本柱があって、初めて外国人登用は企業の力になる。


結論|「労働力の輸入」ではなく、「価値の輸入」を

外国人雇用の是非を語るとき、感情論に流される必要はない。
問うべきは、「誰のために」「どのような価値を持った人を」迎え入れるか、である。

安く使って、用が済めば捨てる──そんな発想で無計画に外国人を迎えるなら、国内の文化、経済、治安、いずれも破綻する。
価値を創り、未来を担う仲間として迎えるなら、日本は再び希望を持てる。

“外国人人材”という元々国の中に無いリソースの、そのポテンシャルを使いこなせる国だけが、更なる発展を迎えることができるのだ。


「外国籍の人材は替えのきく労働力ではない」人気ラーメン店経営者が“年収800万円”で外国人社員を雇う理由(東洋経済オンライン