日本の生産性を奪う“大漁旗”労働文化──量をありがたがる悪習慣(2025.10.27)

序章|労働生産性が低い国・日本──まだ“大漁旗”を振り続ける国

「日本は労働生産性が低い国である」。OECD加盟国38か国中29位、G7では最下位。にもかかわらず、長時間働くことが正義であるかのような雰囲気が、今なお職場を支配している。その結果としての、低労働生産性だ。

日本での「量」の正義を象徴するのが、昔から日本の漁業で誇られる「大漁旗」だ。大量の魚を獲ったことを祝うその旗は、量の誇示にすぎない。だが、それは乱獲や価格の下落、資源の枯渇といったリスクもはらむものだ。

日本の労働現場でも、「たくさんこなした」「長く働いた」といった量の成果が今も評価されている。しかし、日本社会全体はすでに“質”を必要とする時代を変化してきている。にもかかわらず、企業の経営層は働き方の価値観だけが量にしがみついているのだ。

このコラムでは、「大漁旗的働き方」の構造を起点に、日本の生産性がなぜ上がらないのかを解き明かしていく。世代間の意識差、目標設計の欠如、時間主義の限界、WLBとの関係までを視野に入れ、「質の時代」にふさわしい未来像を描く。

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第1章|“大漁旗的な働き方”とは何か──量を誇る文化の限界

「残業を頑張った」「人より遅くまで残った」。こうした“量で語る働き方”は今も多くの職場に残っている。
この背景には、バブル期高度経済成長期における成功体験がある。市場が拡大していた時代には、物量を投入すれば売上が伸び、長時間働けば成果が出た。まさに「量=正義」の時代だった。

しかし現代は違う。人口減少、需要の飽和、顧客の目の厳格化、そしてグローバル競争──これらはすべて「量の時代の終焉」を意味している。
それでも量の成果が評価され続けることで、次のような弊害が起きている:

  • 価値の毀損:大量生産による単価の低下
  • 非効率の定着:仕組み改善よりも力技
  • 若手の離脱:合理的な思考が評価されにくい

日本の「大漁旗」は、たくさん捕れた結果、売価の単価を下げてしまう。個人は良いかもしれないが、市場全体を鑑みた時にそれはマイナスだ。更には、そのような習慣を正義とした結果、資源の減少を招き、漁獲高も以前の半分などということも少なくなくなった。
他国の漁業を見た場合、ノルウェーやカナダ、ニュージーランド、EUなどでは、「獲りすぎず、価値を守る」方針が徹底されている。リソースとそれが生む結果を見通し、計画管理された上で、長期的事業として成立しているのだ。

漁業に関わらず、日本が見習うべきは、このような質と持続性に基づく働き方なのである。


第2章|世代間価値観の断絶──過去の栄光 vs 現代の合理

今の日本には、働き方の価値観をめぐる“世代間の断絶”がある。
昨今若年層から聞かれるようになった「コスパ」「タイパ」という考え方は、労働生産性の向上と親和性がとても高いのだ。
以下の表が、その構造をわかりやすく示している:

■ 日本の労働価値観を分断している「3層構造」

世代層価値観 / マインド企業内の現ポジション日本の停滞への影響
バブル期世代(50〜70代)根性・時間投入=努力=成果 / モーレツ信仰意思決定層(役員・部長・経営)過去の成功体験を捨てられず、改革を阻害
氷河期世代(40〜50代)迎合・防衛型 / 上に逆らわないことが最優先中間管理層離職への恐れから、上の旧来価値観を下へ再生産
Z・ミレニアル世代(20〜30代)コスパ・タイパ重視 / 目的合理型実行層本来は改革の主力だが、裁量を持てていない

つまり、もっとも“質の時代”に適応できるのは若い世代であるにもかかわらず、現時点でまだまだ組織の中で意思決定を握っているのは“量の時代”を引きずる層なのである。


第3章|目標とプロセスがなければ、生産性は絶対に上がらない

昭和的な「とにかくやれ」「やれば売り上げはついてくる」は、もはや通用しない幻想なのだ。いや、もちろんやらないよりはやるほうが売り上げが上がることは確かだ。しかし、その非効率が労働生産性を下げていることに気づいていない。
2倍の時間働かせて、結果1.3倍の売り上げしかないことを「労働生産性が低い」と言うのだ。しかし、まだまだ多くの経営者はそれを是とする。

今の時代に必要なのは「どの目標に向かって」「どう進めるか」という設計思考である。
そして、その設計に従った以上のことは労働者に求めない。設計以上を求めるということは、「量」の発想である。
その違いを明確に示すのが、以下の比較である。

■ “量の時代”と“質の時代”の比較

項目量の時代(昭和〜平成初期)質の時代(現代)
市場拡大縮小・飽和
労働力無尽蔵希少資源
成果の源泉行動量・根性思考・設計・仕組み
競争「走れば勝てる」「考えなければ勝てない」
評価時間ベース成果ベース
管理精神論・気合いプロセスと設計力

若者が「なぜそれをやるのか」と目的=ゴールを問うのは当然であり、組織はその問いに答えられなければならない。
無計画な労働の強要は、”量の正義”なのだ。


第4章|時間で評価することの罪──努力の“物差し”がズレている

今でも多くの企業が「残業=頑張っている」と錯覚している。
しかしそれが、どれほど生産性を蝕むか。以下に主な問題点を整理する。

■ 時間評価が生む弊害

  • 短時間で成果を出した人が損をする
  • 効率≒アイデアより「見た目の頑張り」が重視される
  • 改善提案より「根性」が評価される
  • 成果の可視化が曖昧になり、属人的になる

結果として、組織は「疲弊しているが成果が上がらない」という不毛な状態に陥る。
必要なのは、時間でなく“成果×設計”で人を評価する仕組みだ。


第5章|ワークライフバランス(WLB)と生産性は“敵”ではなく“両輪”である

「ワークライフバランスを取ろうとする若手は甘い」という批判は、量の時代の思い込みだ。WLBが悪では無い。
質の時代において、WLBはむしろ生産性の前提条件である。

■ WLBが生産性を高める理由

  1. 内省と改善の時間が生まれる
  2. 精神的安定が維持され、離職が減る
  3. 限られた時間内で成果を出す訓練になる

■ 北欧型WLBモデル

国名施策の特徴
ドイツ徹底した分業と目的明確化
フィンランド柔軟勤務法・教育制度
オランダパートタイム文化・自由裁量

もちろん、質と量の両方を担保できることは理想である。政治家であれば、国益、国民のために”24時間対処できる態勢”として、WLBを度外視することも必要となろう。それらはすべて、自身の判断の元で行うものだ。
しかし、一般の労働者は「持続性」が必要だ。労働者自身で労働時間を決められるものでは無いし、国益を背負っているわけでもない。WLBを保ちつつ、良質の仕事を行うことのほうが、結果として会社・労働者双方へ良い影響を生む。


終章|“脱・大漁旗”──量を誇る働き方から、質を保つ働き方へ

いま日本は、“たくさんやった”という「大漁旗型労働」を誇る時代を終えなければならない。
変えるべきは、「努力の定義」である。

■ 古い努力の物差し

  • 長く働いた
  • 休まなかった
  • 数をこなした

■ これからの努力の物差し

  • 意図を持ち、価値を生んだ
  • 限られた資源で最大の成果を出した
  • 再現可能な仕組みに落とし込んだ

若者はもう、「価値」を見ている。自分たちの働きがいかに効率的に「価値」を生むことができたのか、を重視しているのだ。時間従量制ではなく、効率従量制の価値だ。

これからの企業は試されている。そうでなければ、若い労働力に”古い価値観”を拒否され、見限られ、就職の選択肢として静かに省かれるだろう。

労働生産性が「ぶっちぎりで低い」日本 それなのに最低賃金を上げれば永遠に成長できない国になる(デイリー新潮