上司ガチャを明言されれば社員はしんどい|吉野家人事の非公平性(2026.5.14)

序章|えこひいきも「逆」ひいきもゴメンだ

吉野家ホールディングス会長・河村泰貴氏が、自身の著書でこう断言した。
「本当にもうこの人は大丈夫だと思えるまで、具体的には、周囲の人から『もういい加減上げてやるべきじゃないですか』という声がかかるまでは、昇格させないようにしてきました。」

表向きは「教育重視」「将来もっと稼ぐ力を身につけてもらうため」という美名だ。
しかし実態は極めて残酷である。
自分の直属部下だけに適用される特別ルール――いわば「逆ひいき」だ。
同じ成果を上げているのに、上司が誰かによって昇格のタイミングが大きく変わる。

これは単なる一企業の話ではない。
日本企業に根深く潜む「上司ガチャ」という人事病の、極めて典型的な症例である。


第1章|人事はそもそも属人的だから、せめて基準は統一であれ

吉野家会長は「将来もっと稼ぐ力を身につけてもらう」「教育費>直接人件費」と繰り返している。
一見すると、長期視点に立った美しい哲学に思える。「社員教育によって、社員が将来稼げるようになるために投資をする」という思いがあるのも事実なのだろう。

しかし、社員教育投資の充実が、「自分自身の直部下だけ人事評価を厳しくする」ことの正当な理由にはなり得ない。 
会社全体で人事の在り方として共通しているのであれば筋は通っている。極めて難しい人事基準が全社的に設定されている、という理解になるからだ。
しかし、会長の部下という一部社員だけなのであれば、それは単なる人事不公平、偏りでしかない。

もちろん、人事評価は上司が行うものである限り、属人的なものだ。だからこそ、評価の基準だけは統一させなければならないのだ。評価の基準が統一されていても、上司によって運用に差が出てしまう。そのバイアスを少しでも減らせるよう、人事評価システムを構築するのが経営の仕事なのだ。

また、「周囲の声が上がるまで待つ」という基準は、マネージャーとして「自身の責任においての人事」からの逃走に他ならない。
さらには同一労働同一賃金の精神――同じ仕事・同じ成果には公平な待遇を――にも反すると言えるだろう。
直属部下だけが昇格を遅らされる「逆差別」は、機会の平等を根本から踏みにじるものだ。

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第2章部下の人生がかかるマラソンのゴールをずらすな

会社勤めはマラソンに例えられることが多い。
マラソンのゴールは参加者共通で42.195km先のはずだ。

それなのに、ある上司の下では41kmでゴールでき、ある上司の下では43kmを走らされる――そんなレースがまともに成立するだろうか。
同じ仕事・同じ成果を出していたとしても、上司次第で評価が変わり、昇格のタイミングが変わる。

すると、部下はすぐに、明確に学習する。「この上司の下にいると損をする」と。
自身の努力そのものが無意味なことを知り、必然的にモチベーションは崩壊していく。

吉野家創業者の言葉、「自分しか使えないような部下を育てるな」とは、誰の元でも仕事ができる人材を育てろ、つまり自分の育てた人材が他の上司の元に行くときのことを考えてのもののはずだ。
そうであるならば、尚更人事評価も自分自身独自のバイアスをかけたものではなく、全社的に平等を目指すべきでは無いのか。


第3章マネージャーが「人事の責任」から逃げてどうする

また、吉野家会長はこうも言っている。
「わたしが『引き上げた』ような印象を持たせたくない」

人事とは、経営者・マネージャーにとって最大の責任問題だ。
周辺から「あいつは使いやすい部下を引き上げた」と揶揄をされたとしても、自信と根拠を持って「この人材は昇進に値する」「この人材は推せる」と示せるからこそ、マネージャーなのだ。

それを「周囲の声待ち」とは、自分の評価への影響を恐れる自己保身にほかならない。「みんなが言ってるから昇進させた」というのは、人事責任の分散・回避である。
人事が失敗をした際に、「自分だけが推したわけではない」という言い訳ができる、先回りでの責任回避なのだ。

仮に『引き上げた』ような印象を持たれたとしても、その後の活動で評価を覆せば良いだけの話なのだ。「ああ、やっぱり部下を見る目がある」と周りに言わせてしまえば、実力でねじ伏せてしまえば良いのだ。
マネージャーの役割は、それをするに能うだけの人材を育て、抜擢すること。
人事は先回りでの自己保身の道具ではない。自分自身の評価は、部下の活躍次第で後で勝手についてくる。


第4章機械的すぎるほど平等なジャック・ウェルチの20-70-10

対極に位置する例が、元ゼネラル・エレクトリック会長、ジャック・ウェルチ Vitality Curve(20-70-10ルール)だ。
これは、全社・全部署で毎年、必ず上位20%(A選手)、中間70%(B選手)、下位10%(C選手)に強制分類する、というものだ。
固定割合は絶対ルールで、事業部ごとの例外は認められない。
このシステムであれば、上司評価の厳しさは関係ない。どの部署、どの上司の元であれ、20-70-10が割り当てられるからだ。

項目吉野家会長方式ウェルチ方式
評価の適用範囲直属部下だけ特別全社・全部署で完全統一
基準上司の納得感+声待ち固定割合の強制相対ランキング
属人性の度合い非常に高い極めて低い
社員の納得感低い(上司ガチャ)機械的だが公平感は圧倒的に高い

この20-70-10ルールも、機械的、システマティックすぎるきらいはある。Cに割り当てられた社員は評価に不満も出るだろう。
だが、少なくともルールが全社で統一されている点で、社員の納得感は遥かに上だ。


第5章優秀な人材ほど評価不統一なマネージャーを静かに棄てていく

優秀な人材ほど、評価が不統一な会社からは離脱する。
なぜなら、対等評価であれば、優秀人材は自身の能力に自信があり、評価が得られることを疑わないからだ。
それが上司次第で公平に評価されないとなれば、その場所に残る価値は無いと判断する。

調査データは、そのことを如実に示している。

調査名主要結果
13,000人パフォーマンスレビュー分析(2023)低品質フィードバックを受けると離職リスク63%上昇
Reflektive調査(米国、1,000人対象)不公平な評価を受けたら85%が退職を検討(半数以上が「非常に可能性が高い」)
ライボ調査(2023)人事評価に不満を持つ社員は75.2%
ワークポート調査評価基準が不明瞭と回答した人は61.7% 人事評価に不満を持つ人は67.4%

優秀であればあるほど、さっさとその場を離れる――これはデータで裏付けられた事実である。
優秀な人材は、新天地候補にも事欠かないからだ。人手不足が叫ばれる昨今では、待遇も立場も用意してもらえる。
結果として、評価が不統一な会社であっても残るのは、他で実力勝負をしても見込みを持てない社員ばかりとなる。


第6章たったふたつの「本来あるべき」人事評価

これまでの議論を総括すると、本来あるべき人事評価は、たった二つに集約される。

① 全社共通・客観的基準の徹底

明文化された成果指標・行動コンピテンシー・経験要件。複数評価者制とデフォルト昇格ルールで、上司の裁量を「加点」に限定する。

② 経営者が自ら体現し、全社に徹底させる責任

①の全社共通・客観的基準をトップ自ら率先して運用し、声掛けあるいは評価を通して全社的な浸透を徹底促進させる。

ジャック・ウェルチのやり方もエキセントリック過ぎるが、人事評価基準の不統一はもっての他だ。
トヨタ自動車が年功要素を減らし、全社共通の成果・人間力評価を推進しているのは、この方向性の好例だ。
その結果、機会均等によるモチベーションアップが促進され、日本一の社員数39万人を擁しながら、売り上げ、利益共に日本一を独走し続けている。
機械的すぎず、しかし属人的すぎず――日本らしい現実的な中間解がここにある。
これらができなければ、優秀人材の流出は避けられない。


終章マネージャーがマネージャーたるべき所以は「人事」だ

モノを売るのは営業の仕事。モノやサービスを作るのは開発・製造の仕事。金勘定は経理の仕事。
しかし、それらを誰に任せるか、そしてその結果の責任を取るのは、マネージャー=経営者しかいない。

つまり、マネージャーの本質的な仕事は「人事」と「責任」である。
他人の「推す声」よりも自身の「推す判断」で、人事を行い、その責任を負う。

また、その根拠となる人事評価の基準を設定するのもマネージャー=経営者の仕事だ。
全社共通基準を徹底できない企業は、現代の日本の労働市場で生き残れない。
優秀人材が会社を選ぶ時代には、公平性こそが最大の競争力だ。

現代日本の人材市場は、えこひいきも逆ひいきも、もうゴメンだと言っている。


元記事:吉野家HD会長「わたしの直部下はなかなか昇格させない」…周囲から「いい加減上げてやれ」と声が上がるまで待つ、深い意図 | ゴールドオンライン