会社の人員計画の失敗を「退職リスク」と都合よく言い換えるな(2025.10.3)

【第1章】退職リスクという虚構

「退職リスク」──多くの企業がこの言葉を口にするとき、まるでそれが天災のように避けがたい外部要因であるかのように語られる。しかし、その実態はまったく逆だ。退職は自然な現象であり、労働者の当然の権利である。そして、起きるべくして起きることだ。

本来、雇用契約とは「終わりのある前提」を内包している。無期雇用であっても、それは“解雇されない保証”であって、“辞めない保証”ではない。にもかかわらず、企業の多くは「社員は辞めない」という幻想を前提に人員計画を立て、業務を属人化させ、必要最小限の人数で組織を回そうとする。こうした経営姿勢こそが、本当のリスクを生む温床である。

つまり、「退職リスク」という言葉は虚構である。存在するのは「退職という当然の出来事にすら耐えられない体制」のほうだ。これは「火災が起きるリスク」ではなく、「消火設備を持たないリスク」に近い。本当に問われるべきは、社員の退職ではなく、退職があるたびに崩れてしまうような企業設計なのである。

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【第2章】退職リスクを社員に押し付けるな

 「辞めたら取引先に迷惑がかかるぞ」「今抜けられると支店が潰れる」「上司の責任になる」──退職を申し出た社員に対し、企業がしばしばこうした言葉を投げかける。だがこれは、極めて身勝手であると同時に、本質的な責任の所在をすり替えた言葉でもある。いずれも退職希望者にとってはどうでも良いことだ。
退職希望者本人も、そのようなことを言われたからと言って揺らぐようなら初めから退職意思が弱いのだ。

退職というのは、労働者個人のキャリア選択であり、人生の節目である。それを「会社の都合」で止めようとするのは、道義的にも法的にも正当化できない。そして何より、それによって露呈する「業務が止まる」「支店が潰れる」といった事態こそが、会社側の準備不足の証拠であり、場合によってはそれ自体が退職要因でもある。

退職希望者にとって、会社の混乱は知ったことではない。ましてや「後任がいない」「引き継ぎ期間が足りない」といった事態を、退職を申し出た側の責任にするのは完全に筋違いである。必要なのは引き止めではなく、「スパッと辞めても問題のない体制」の構築なのだ。

退職は社員の裏切りではない。会社の体制不備を露呈させただけである。


【第3章】属人化が生む脆弱性

業務が属人化している職場では、特定の人が抜けるだけで混乱が起きる。後任が決まらない、引き継ぎが追いつかない、顧客対応に支障が出る──それらはすべて「属人性」が引き起こす連鎖反応である。

しかし、こうした属人化は決して避けられない宿命ではない。世界には、それを構造的に排除し、安定した事業運営を実現している企業が数多く存在する。以下は、属人性からの解放に成功した代表的企業の比較表である。

 【マニュアル化に成功した有名企業の比較表】

企業名マニュアル化の対象特徴・強み補足事項
マクドナルド調理・接客・清掃世界中で同品質。属人化排除の典型例アルバイト中心でも均質運営
スターバックスドリンク・接客対応会話のトーン・笑顔までトレーニング地域性に合わせた柔軟さあり
セブン-イレブン発注・レジ・陳列POS連動で店舗運営を標準化国内約21,000店舗。効率運営を支える
ディズニー接客・演出・行動規範キャスト行動をマニュアル化し「魔法の国」体験を実現裁量での顧客対応も可能
ユニクロ接客・陳列・畳み方グローバル展開を可能にしたマニュアル思想SPAモデル全体に適用
リッツ・カールトン接客・サービス行動クレド+裁量予算で高級サービスを実現マニュアル+判断力の融合

これらの企業に共通するのは、「人に依存しない仕組み」を前提としていることだ。属人性の排除は、単なる効率化ではなく“退職しても困らない体制”の設計思想そのものである。
属人化があるからこそ、「辞められると困る」となる。辞められると困るのは、企業の責任である。


【第4章】航空会社に学ぶリスク設計

ここで視点を変えて、航空会社の運営を見てみよう。
飛行機には必ず「機長」と「副操縦士」がいる。万が一、機長に何かあっても、副操縦士が代わって操縦できる体制が最初から組み込まれている。また、客室乗務員(CA)も「飲み物を配る人」ではなく、本来は航空保安要員である。緊急時の対応や避難誘導などを担うために、最低限の人数ではなく、あえて余裕を持って配置されている。
そして重要なのは、そうした冗長性を持たせた上で、航空会社は利益を出しているということだ。

  • 人件費を削らない
  • 万一に備える
  • それでも黒字を出す

この姿勢は極めてシンプルである。なぜなら、航空業界は「命を預かる業種」だからだ。少しの油断が致命傷になることを知っているため、体制設計に一切の甘さを許さない。

一方、一般企業はどうか?
「命に関わらない」ことを理由に、冗長性を削り、人員を絞り、ギリギリの人数で業務を回そうとする。そしていざ退職者が出ると「困る」「止まる」と騒ぎ始める。

これはもはや経営の怠慢というよりも、経営の“甘え”である。
安全のための冗長性を投資ではなく「無駄」と切り捨てた結果が、退職ひとつで支店が止まる組織なのだ。


 【第5章】人員に余裕を持たせない経営の罪

 「余剰人員=ムダ」という思想は、いつの間にか多くの日本企業に染みついている。
利益率を優先するあまり、「人が抜けても回る体制」ではなく「人が抜けたら終わる体制」で利益を確保しようとする。しかし、この考え方が引き起こす問題はあまりにも大きい。

● 余裕を持たないことで生まれる悪循環

  • 退職希望者が出るたびに業務が混乱する
  • 引き止めに走る(給与アップや情による説得)
  • 退職ハラスメントが起こる
  • 社員が疲弊し、さらに離職者が増える
  • 残った人に負荷が集中し、また退職が連鎖する

つまり、「余裕を持たせない」ことで、組織は崩壊のスパイラルに突入する。

本来、人件費とは「コスト」ではなく「機能維持の保険」でもあるべきだ。
リスクを吸収できる構造こそが、強い組織の土台になる。

にもかかわらず、目先の利益を優先し、人をギリギリまで削る経営は、「安定性を犠牲にした利益」であり、その代償は常に社員が支払わされる。
退職を止められない体制を放置しながら、「辞めるな」と言うのは、責任の放棄である。


【第6章】代替を育てる思想

 もちろん、すべての業務をマニュアルで再現可能にすることは不可能だ。
創造的な仕事、熟練を要する専門職、高度なコミュニケーションを伴う業務などには、ある程度の属人性が残る。だが、それは「仕方ない」で済ませてよい理由にはならない。

属人的な業務こそ、「代替を育てておく」という思想が求められる。

  • 若手をOJTで育てておく
  • チーム内で複数人が担当できるようにしておく
  • 突発的な欠員でも誰かがカバーできる構造を作っておく

このような「プール型の人材育成」もまた、属人化への対抗手段であり、リスク管理の一環である。

リッツ・カールトンやディズニーの例はここで非常に参考になる。
彼らは高い接客品質を保ちながら、マニュアルと裁量を共存させ、**「誰が対応してもブランド体験が崩れない仕組み」**を整えている。

つまり、完全なマニュアル化が無理ならば、代替者を育てることで属人化を「吸収可能な範囲」に閉じ込めることができる。
それは、社員に負担をかけない体制であり、退職が組織にとって“想定内”になるということである。


【第7章】退職を前提にした健全な経営へ

退職は、誰にとっても一度は訪れる「節目」である。
それを企業が「リスク」と見なし、「避けなければならない災害」と捉える時点で、すでに誤っている。
正しくは

  • 退職リスクは存在しない
  • 存在するのは「退職されると困るような体制」のほう

退職は裏切りではない。
退職が起きたときに、組織が止まる、混乱する、誰かが苦しむ──これこそが、組織側の不備だ。

✅ 属人化を排除する
✅マニュアルで再現可能にする
✅ 再現できないものは代替人材を育てておく
✅ 常に人員に余裕を持たせる

この4点を前提とすれば、退職はもはやリスクではなく「自然な通過点」になる。
企業が本当に向き合うべきは、「人が辞めること」ではなく、「辞められて困る自分たちの設計」なのである。


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