「初任給バブル」に踊るな──中小企業が生き残るための採用戦略(2025.5.19)

■1. 高まる初任給の波──“30万時代”の衝撃

2020年代も半ばに差し掛かり、企業の新卒初任給は前例のない高騰を見せている。30万円台に突入し、ついには40万円を提示する企業まで現れた。就職戦線はまさに“待遇競争”の様相を呈し、世間では「初任給バブル」とも呼ばれるほどだ。

大手企業が先導するこの流れに、中小企業はどう向き合うべきか?答えは単純ではない。表面上の数字だけを見て追随すれば、待っているのは財務の悪化と組織の崩壊である。

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■2. なぜ“高初任給”が危ういのか──その副作用

初任給を大幅に上げれば、人材が集まる。これは一見、合理的な戦略に思える。しかし現実はそう単純ではない。大幅な初任給引き上げは、企業に以下のような副作用をもたらす。

● 副作用の例:

  • 中堅社員との給与バランスが崩壊し、組織の士気が低下する
  • 高待遇に見合った成果が期待され、新人に過度なプレッシャーがかかる
  • 企業全体の人件費が跳ね上がり、利益を圧迫する
  • 待遇目的で入社した人材が定着せず、離職率が上昇する

とりわけ中小企業にとって、人件費は命綱である。それを維持できないほどの無理な昇給は、経営の首を絞めることになる。


■3. “一番の人材”幻想が企業を狂わせる

企業が待遇競争に走る背景には、「どうしても一番の人材を取りたい」という思惑がある。しかし、この”一番”という言葉には大きな落とし穴がある。

高学歴、高スキル──それが必ずしも自社にとって最良の人材とは限らない。むしろ、金銭的インセンティブだけで動く人材は、より高い条件があればあっさりと転職する。企業にとって本当に価値があるのは、「ここで働く意味」を共有し、チームの一員として根を張る人材である。


■4. 中堅社員を軽視するリスク──静かなる崩壊

初任給の爆上げがもたらすもう一つの弊害は、既存社員との関係性である。10年、20年と会社に尽くしてきた社員よりも、新卒が高い給与水準で入社すれば、どう感じるだろうか。

待遇差は、「自分たちの経験はもう評価されていない」「会社は年齢と可能性しか見ていない」という不満を生む。そしてこの不満は、表には出にくい。だが、確実に組織を蝕む。

崩壊のサイン:

  • 離職率の上昇(特に30代〜40代)
  • 自主性の喪失、「言われたことだけやる」風土の蔓延
  • 新卒社員への指導拒否、無関心
  • 部署間の連携の形骸化

こうした“静かな崩壊”が始まった企業は、どれだけ人材を集めても中身が育たない。まさに「魂の抜けた組織」になる。


■5. 中小企業が陥る「ゼロサム幻想」

「大手が良い人材を取ってしまえば、我々には残り物しかいない」

そんな思い込みが中小企業を追い詰めている。しかし現実には、大手だけが若者の選択肢ではない。近年の若者は、多様な価値観を持ち、必ずしも初任給や社名で企業を選んでいない。

若者が重視する要素:

  • 風通しのよい組織文化
  • 成長機会と任される裁量
  • 自分の存在が見える仕事
  • 通勤や働き方の柔軟性

これらの観点で魅力を持てば、中小企業でも十分に選ばれる存在になれる。勝負すべき土俵を間違えてはいけない。


■6. 中小企業が守るべき“バランス”の哲学

ここで重要になるのが、“バランス”という考え方だ。

新卒も、中堅も、ベテランも──誰もが納得できる形で報酬や処遇を設計する。派手さではなく、内部の信頼構造を守ることが、何よりの人材戦略である。

実践すべきポイント:

  • 新卒の初任給を上げるなら、中堅層にも連動した昇給設計を用意する
  • 昇進や職能評価制度を再設計し、「未来志向」と「積み重ね」の両立を図る
  • 「働き続けることに意味がある」組織文化を意識的に言語化・共有する

■7. “身の丈採用”とJリーグの比喩──現実的な成長戦略

J3のクラブにメッシは来ない。だが、J3のクラブが努力し、実力をつけ、J2、J1へと昇格すれば、メッシのような選手が振り向く日も来る。

中小企業の採用も、同じである。短期的に背伸びしてスターを追うのではなく、 目の前の人材を育て、組織の格を高めていく。

これこそが、本質的かつ持続可能な成長戦略である。


■8. 「企業の胆力」が試される時代

新卒の待遇を上げるなら、既存社員にも応分の報いを与える。簡単なことではない。財務的にも心理的にも、これは“覚悟”が問われる。

だが、「上げたが最後」、企業はもう“安く使い続ける時代”には戻れない。禁断の果実をかじった以上、企業は構造そのものを見直す必要がある。制度、文化、評価基準──すべてを進化させてこそ、その投資は回収できる。


■9. まとめ──幻想ではなく、哲学と戦略で勝て

初任給バブルは一過性の現象ではなく、時代の転換点だ。だからこそ、中小企業は「他社に倣え」の発想ではなく、「自社で勝つ」戦略を確立しなければならない。

金額の多寡ではなく、社員が納得できるかどうか。 派手さではなく、誰が残ってくれるか。その本質を見誤った企業は、人材が集まっても定着せず、やがて空洞化していく。

中小企業の未来を決めるのは、待遇額ではない。 “胆力”と“哲学”である。

初任給“爆上げ”の副作用…中堅社員の不満、企業は消耗戦に | Business Insider Japan