

「人事は最底辺」ではない──戦国武将に学ぶ、企業を動かす人事部門の本質的役割とは?
はじめに──“人事の軽視”が企業の未来を損ねる
「管理職は罰ゲーム」「人事は評価されない」「営業しか偉くない」。
現代の多くの日本企業で聞かれるこのような言葉には、笑えないリアルが詰まっている。
とりわけ人事部門は、「直接利益を生まない間接部門」として軽視され、“企業ヒエラルキーの最底辺”に位置づけられるケースすらある。
だが本当にそうなのだろうか?
人をどう使い、どこに配置し、どう成長させるか──それはまさに企業という組織の中枢であり、戦略そのものであるはずだ。
この問いを考える上で、我々は一度、歴史を振り返ってみるべきである。
実は、戦国武将たちは現代企業が忘れた「人事の本質」をしっかりと理解していた。
戦国時代における“人事”の本質──人は資源ではなく、戦略そのものだった
豊臣秀吉:出自を問わず実力を抜擢、「自動統治システム」の構築者
- 石田三成(内政・財務・兵站)
- 黒田官兵衛(戦略立案)
- 前田利家・加藤清正(武闘派)
秀吉は彼らを適材適所で起用し、まさに**“人による構造設計”**を実現した。
太閤検地・刀狩・奉行制度の整備は、現代の人事制度そのものであり、「誰がどこにいても一定の成果が出せる仕組み」を作った点で、極めてモダンな思考の持ち主だった。
人事は感情ではなく、機能で判断されていた。
武田信玄:甲州法度と堤防建設、兵站・土木から始まる勝利
武田信玄が「戦国最強」と称された理由は、単なる戦の強さではない。
- 信玄堤の建設による農業基盤の安定
- 金山と甲州金による経済整備
- 家臣の適正配置と統制された軍制
これらの「内政」と「組織設計」によって、兵力以上の戦果を生み出す戦略が可能となった。
つまり彼の勝利の源泉は、人と仕組みの配置にあったのだ。
徳川家康:譜代・外様の絶妙な配置による長期安定国家の設計者
家康の真骨頂は、組織を「継続可能な体制」として設計したことにある。
- 本多忠勝・井伊直政(武闘派)
- 本多正信・金地院崇伝(政策・制度)
- 天海僧正(思想・精神統制)
これらの人材を、武力・文治・宗教と多角的に組み合わせて配備し、長期的にブレない国家運営の基盤を築いた。
毛利元就:三本の矢と分権統治、少数精鋭による組織最適化
- 小早川隆景(内政・外交)
- 吉川元春(軍事)
- 乃美宗勝(水軍・商業)
家族・家臣それぞれの強みを活かして、「分業×信頼」による機能的な組織設計を実現した。
人数や資源では劣る地方大名でありながら、大国に伍した理由がここにある。
なぜ現代では「人事」が評価されなくなったのか?
戦後〜高度成長期:人事は“労務管理”の名残として扱われた
- 終身雇用・年功序列制度のもとで、人事は“人を動かす事務係”に
- 採用・昇進・給与計算・社宅管理といったルーティン業務中心
- 戦略思考が入り込む余地がなかった
バブル崩壊後:「人=コスト」という認識の定着
- 経営がリストラ・コストカットに追われ、「人事=削減実行部隊」化
- 成果主義の誤読により、営業・開発など“直接成果部門”のみが評価対象に
- 人事・広報・法務・企画といった“構造設計部門”が軽視される流れに
この誤った“脳筋型経営”が、日本の生産性低下を招いているのではないか?
“脳筋型経営”の本質とその限界
■ 現在の構造的問題点
- 「売れたら評価」「作ったら偉い」という短期・即金志向
- 組織設計や人材配置にかけるリソースの軽視
- 配置の根拠が不透明、「余っているから異動」「年次が来たから昇格」
- “人を戦わせて結果を見る”だけで、戦う構造を作れていない
■ その結果、起きていること
- 中間管理職が疲弊し、「罰ゲーム」と認識される
- 人事は現場のご機嫌取りか、処罰係に堕する
- 採用・配置ミスが続き、育成・評価も機能不全に
今こそ人事は“再定義”されなければならない
人事とは、「人を管理する部署」ではなく、「組織が利益を自動的に生み出す構造」を設計・維持する部署である。
具体的には、以下のような役割が本質だ:
- ジョブ設計(仕事の定義)
- 職能と配置のマッチング
- 成果と報酬の連動制度構築
- 将来の人材ポートフォリオ管理
- 企業文化・理念の浸透装置としての機能
戦国武将たちが現代人事に教えてくれること
以下の点は、現代企業が直ちに取り戻すべき“戦国的思考”である:
- 人事は「頭脳」であり、戦略そのものである
- 配置は「余っているから」ではなく「勝つために」行う
- 非武闘派(現代で言えば人事・法務・広報)は、組織を支える主役の一翼
- 成果が“見えない”ことと、“出していない”ことは違う
まとめ:誰がやっても成果が出る組織。それをつくるのが人事だ
企業とは、「人が動いて利益を生み出すシステム」である。
だからこそ、本当に強い企業とは、**“人に依存せず、仕組みによって人が動ける組織”**でなければならない。
その構造を設計し、成長可能な仕組みに落とし込む役割こそ、人事の本質である。
人事は、戦わないからこそ強いのだ。
人事は、戦える組織をつくるからこそ価値があるのだ。
そしてそれは、かつての戦国武将たちが、まさに実践していたことなのである。
「管理職は罰ゲーム」の真因、日本の人事部門「企業の最底辺扱い」の愚かしさ |ビジネス+IT