

序章|「オレの背中を見ろ」は、もう届かない
Z世代は、年代の離れた上司や先輩が言う「俺の背中を見てついてこい」という言葉に、ほとんど心を動かさない。今回の記事でも指摘されていたように、Z世代は「同年代に比べて自分がどのくらい成長しているか」を最も重視する。つまり、縦の関係ではなく、横の基準で自分を測る世代である。
だから、上司がどれだけすごいかは、彼らにとっては重要ではない。むしろ「上司と自分の間にある世代の差・経験の差」は、多くの場合、比較不能として処理される。そのため、
- 「俺がやってきたようにやれ」
- 「昔はこうだった」
- 「気合いで乗り越えろ」
といった、いわゆる昭和型の育成は、彼らにとっては「なぜそれをやるのか意味がわからないもの」になってしまう。
記事で言及されていた指摘は、それを端的に表している。
「上司は自分を“機械的な機能”だと考えて接する方がいい」
つまり、上司は「人格」や「カリスマ」や「背中」ではなく、評価の基準・役割の明確化・フィードバックの設計といった“仕組みそのもの”として機能する必要がある、ということだ。
そしてもう一つ重要なのが、
「精神論ではなく、何が加点で、何が減点なのか、具体的にこまめにフィードバックすること」
これは、Z世代が「空気」や「印象」ではなく、明確に言語化されたプロセスを求めているということだ。そのプロセスがない状態では、彼らは動かない。いや、正確に言えば、動かないことが合理的なのだ。

第1章|ドラゴンボールに見る「育成の二つの型」
鳥山明作『ドラゴンボール』はご存じのとおり、週刊少年ジャンプで連載されていた作品で、日本のみならず現代でも世界中で愛読されており、現在でもその続編や、映画等が公開されている。バンダイナムコの世界IP別売上高においても、連載終了後30年超が経過したにも関わらず、近年でも1位を獲得し続けているコンテンツだ。
主人公は孫悟空。その息子の孫悟飯や、親友のクリリン、ベジータ、ピッコロなどと共に、強力な敵に立ち向かうストーリーだ。
この『ドラゴンボール』で、現代マネジメントの考察を試みてみよう。
悟空の息子、孫悟飯を育てた二人の人物がいる。ピッコロと悟空である。どちらも悟飯を戦力に育て上げたが、育て方はまったく違っていた。この対比は、そのまま昭和型の育成と現代型の育成の分岐に重なる。
まず、ピッコロ。強力な敵(ベジータ)に対するために、彼は悟飯を“荒野に放り込む”ことから教育を始めた。恐怖、飢え、孤独、危険。それらをあえて与え、「生き残った者は強くなる」という価値観に基づくやり方だ。
つまり、強さは、試練によって“選別される”という考え方である。これは昭和〜平成の日本企業で一般的だった育成法そのものだ。
- 現場で覚えろ
- 失敗しても立ち上がれ(ただし立ち上がれなければ終わり)
- 弱音は吐くな
- ついてこれる者だけが前に進め
このやり方は確かに、一部の人間を圧倒的に強くする。悟飯は短期間で潜在能力を開花させ、突出した力を獲得した。しかし同時に、こうも言える。悟飯は「生き残れたから」花開いたのであって、裏には潰れた可能性も常にあった。
つまり、ピッコロ型育成はハイリスク・ハイリターン。天才や耐久力のある個は飛躍するが、大多数は折れる。人口も企業体力も「人が折れることを前提にできた」時代なら成り立ったが、令和では戦力が残らない育成法になりやすい。
ここで対照的なのが悟空である。誤解をされやすいが、悟空は「オレの背中を見ろ」タイプではない。
セル戦前、悟空は悟飯と共に超サイヤ人の“常態化”訓練を行った。要するに、高出力(ピーク)を平常運転に落とし込む設計だ。さらに悟空は自ら戦った後に退き、悟飯に任せるという戦略を採った。「自分が勝つ」ではなく「チームとして勝つ」ために、適材へのバトン渡しを行ったのだ。
悟空は「設計」と「役割分担」で強さの再現性を作った。
ここに、現代的育成の核心がある。
第2章|ピッコロ型育成=昭和的マネジメント
ピッコロ型育成のエッセンスを、現場の言葉に落とすと次のとおりだ。
ピッコロ型(昭和的)の特徴:
- 選別:まず現場に放り込む。残れた者だけが適性者。
- 属人:育成は指導者のカンと経験に依存する。
- 沈黙:評価基準は明文化されず、空気を読む力が要求される。
- 高負荷:失敗のコストが高く、心理的安全性は低い。
- 短期決戦:即戦力化を狙い、長期の底上げには不向き。
この型は、戦場・競技・創業初期など「選別が前提」の局面では効果的だ。事実、悟飯のような先天的ポテンシャルを持つ人材は、この荒々しい環境で一気に跳ねることがある。
しかし、多くの組織においては、次の副作用が強く出る。
- 離脱が増える(サイレント辞職/心が折れる)
- 残った人材が均質化(多様性の損失)
- 再現性がない(指導者と対象者の相性頼み)
- ブラックボックス化(評価基準が見えず、納得感がない)
つまり、ピッコロ型は「一部のスーパーマンを作る」が、組織全体を強くしない。瞬発的な強さを生むが、持続的な組織成長には向きにくい。
第3章|悟空型育成=現代的マネジメント
一方の悟空型は、仕組みで強さを作る。セル戦に向けた超サイヤ人“常態化”は、平常性能(ベースライン)の再設計だ。これは、現代の組織が必要としている再現性のある育成と一致する。
悟空型(現代的)の特徴:
- 底上げ:高出力を「平常」に落とし込み、疲弊せずに強い状態を作る。
- 設計:強化の順序・負荷・回復を体系化する(ピーキング設計)。
- 可視化:評価指標・加点/減点を明文化する。
- 配役:個性や状況に応じて役割分担とバトン渡しをする。
- 権限移譲:任せるが、見捨てない(自律と支援の両立)。
悟空は、自分が最強であり続けることよりも、チームが勝てることを優先した。だからこそ、自分が退いて悟飯に託すという意思決定ができたのである。
つまり、悟空型は「強い個」を作るのではなく、「強いチーム」を作る。その上で特別な個性は自然に開花する。再現性のある底上げ型の育成であり、多様な人材が活きる土台をつくるのだ。
第4章|Z世代と「悟空型」が噛み合う理由
Z世代は、精神論では動かない。曖昧な上下関係や“空気”での統制は、最も信頼されない方法だ。彼らは、
- 何をすれば加点か
- 何をすれば減点か
- なぜ今それをやるのか(目的)
- どれくらいで到達できるのか(目安)
が言語化されていることを求める。これはわがままではない。不確実性の大きい社会で、合理的にリスクを最小化しているだけである。
悟空型の育成は、この要件を満たしている。
- 評価の地図がある(SSJ維持の基準・戦術の段取り)
- 役割が明確(自分がどこまでやり、どこでバトンを渡すか)
- 失敗の吸収設計(焦らせず、平常強度を上げる)
反対にピッコロ型は、Z世代にこう解釈される。
- 「理由が不明(なぜ荒野に置くのか)」
- 「評価が不透明(基準が見えない)」
- 「失敗コストが過大(折れたら終わり)」
Z世代は弱いのではない。合理的に動いているだけだ。だからこそ、悟空型の“設計された育成”が合う。
第5章|ピッコロ型 vs 悟空型の比較(現場実装の視点)
ここでは両者の型を構造的に整理し、組織がどちらを採用するべきかを明確にする。
比較表:ピッコロ型 vs 悟空型(現場実装の視点)
| 観点 | ピッコロ型(昭和的) | 悟空型(現代的) |
|---|---|---|
| 育成の前提 | 選別(耐えられた者が残る) | 底上げ(全員が戦える土台) |
| 評価 | 空気・印象 | 基準の明文化・地図化 |
| 失敗の設計 | 高コスト(折れたら終わり) | 低コスト(吸収して学習) |
| 再現性 | 低い(属人・相性依存) | 高い(仕組みで再現) |
| 効果 | 天才が跳ねる | 組織が強くなる(多様性が活きる) |
| 向く局面 | 戦場/競技/創業初期 | 事業運営/人材育成/持続成長 |
第6章|我々は「橋渡し世代」である
ここで重要なのは、どちらが正しいかではない。時代の要請が違うという事実だ。昭和的な職場は、人が折れても補充できた。しかし今、離脱は簡単で、戻ってはこない。人口構造も採用市場も、“潰して選ぶ”余裕はない。
我々、いま管理職を担う世代は、昭和的に育てられ、令和的に育てなければならないという橋渡し世代にいる。ここで必要なのは、
- 自分の育てられ方を“再生産”しない勇気
- 相手と時代に合わせて“更新”する柔軟さ
- 主役の座を手放し、バトンを渡す決断
である。悟空は、自分が最強でい続けたい気持ちがあっても、セル戦で「勝つための配役」を優先し、悟飯に託した。この成熟こそ、いま求められている。
結章|悟空は「育てられ方」を更新した。次は、我々の番だ。
悟空は、自分が受けた育てられ方(放任・根性・自然との共存)を、そのまま悟飯に適用しなかった。相手の特性と時代の要請を読み取り、育成モデルを更新した。だから、悟飯は花開いた。
マネジメントとは、自分の体験を継承することではない。 相手が強くなる方法を、時代に合わせて選び直すことだ。
Z世代は弱くない。正確に時代に反応しているだけだ。だからマネジメント層は、再現性のある育成=悟空型に切り替える。背中ではなく、設計で導くべきだ。
人は、自分が受けてきた育てられ方に縛られる必要はない。時代は変わり、人も変わる。
だから育て方もまた、変わっていい。悟空はそうした。次は、我々の番だ。
Z世代へ、上司の向き合い方「精神論」「一体化を持とう」はNG 「システムに徹する」必要性(withnews)